今日のひとこと、で「焼肉屋さんのメニューで好きなものは」と、お尋ねなのですが。
大昔、亡父の親友の娘さんが、焼き肉屋さんを開業いたしまして。
家族で、お祝いに駆け付けました。
あたしは運転手として同行いたしまして、初めての店内にキョロキョロ。
うっかり、亡父の見張り(!?)を、忘れました。
当時の父は身長はあたしと同じでしたが、体重が百キロをゆうにこえて、腹回り125(当人申告)。
バケツでご飯、が、シャレにならないゴッフォげっふぉん、ごふぉ。。。
肉肉肉肉、さらに肉肉肉、。。。。
はっと気づいた時には、開店前のショーウィンドウがすっからかん。
ネタだと思うでしょ?
残念でした。まぎれもなく真実でして。
以後、出禁に、なりましたのでした。
体に悪いから、食べ物を少し制御しないと、と亡母に諭されると、
わたしは、好きなだけ食べて、好きなだけ飲んで、ころっと死にますから、いいのです。
と、かたくなに言い張りました。
ま、それも人生、ではありますが。
運悪く、勘のいい娘(あたしです)を持ちましたもので、あたる直前に気が付かれて、無理やり車に乗せられて。
はい、病院についたとたんに意識が飛んで、入院になりまして、その後19年七か月生き延びて。
ころっと死ぬ、なんてできなかったね。
人生なんて、そうそう、思う通りにはならないもんなのですよ、ね。
でも、わがままし放題で長生きできたんだから、どうか勘弁してくださいよ、ね。
ちゃんと回復、できたでしょ?
行きたいところにどこでも連れてってもらえたし、自分の足で出かけるのも自由だったし。
しゃべれるし、歩くのがほんの少しだけ不自由だったけど、普通は寝たきりになるか即死なのが、速く発見したから(この世に)戻れたんだよ、って。
お医者様から言われたでしょ?命あるのが丸儲け、って。
でも、たったひとつ、「好きなものを好きなだけ食べる」のだけは、きつく止められたよね。
それがかなしい、のか。
先生(医者さま)がおっしゃってました。
『人間、自分の一番の「欲」の部分に、あたるんだよなぁ。』って。
で。
歩けるから隠れて出かけて、よその、食事が出される集会に勝手に出席(紛れ込む、ともいう)して・
好きに食べて救急車騒ぎになった。のどに詰まらせて。(あたっているから嚥下障害があるのです)
そういうことで、皆様からは
「こんなに食べたいんだから好きに食べさせてあげたら?この親不孝者が、ひどい娘だ」
なんて、聞こえるように言われ、いろんな人たちから、何度もののしられた。
何一つ言い訳はしなかったけれど。
食べさせて、結果、即死したら、いやなのです。ええ、あたしが、いやなのです。
それでも、死んだほうがまし、って、おっしゃいますか?
・・・いう、のね。
よその親だから、知らない、って、言いますか?
・・・あたしは(そこでは)一人っ子だったから、兄弟での相談もできなかった。母は先に死んだ。
普通に成人男子二人分ほどは、毎日毎日食べているのですよ、父さん。
そのほかに、お店でこっそりパンを袋に何個も買い込んで、部屋の机に隠してますよ。
目をつぶってますけど。知ってたよ。
・・・・勝手なことをほざく連中よ、おまえらも、同じ立場になってみればいいのだ。
心の中で、他人をののしってしまう自分が嫌で、隠れてひとりで泣いた。
だけど。
とうさん本人には、逆らったり意地悪言ったりは、しなかった。
できなかった。
あたしが「あんまりだ」と、口をきこうとしたら、当時まだ生きていた母が、あたしを抱え込んで、泣きながら言った。
おとうさんが悪いんでない。
病気がそう言わせてるんだ、それだけなんだから、健康なあたしたちが守ってやらなきゃ、なんだ。
かんしゃくおこした父から杖で何度もぶたれても、床にまるまって、歯を食いしばって我慢した。
一番つらいのは父なのだ、と、胸の中で呪文を唱えていた。
でも、いつもそういうとき、父はふいにまともにもどって、「あぁ、」とか言いながら、あたしをぶつのをやめた。
そして、あたしの子どもたちにはそういうことはしなかったから、もしかすると
「ころっと死なせてくれなかったあたし」に腹を立てていた、のかもしれない。
長い長い介護が終わったら、いろんなことがイヤになった。
些細なことに腹が立った。
自分が考えることを、相手も考えてると思うなよ。
人間嫌いに、拍車がかかる。
自分が石ころになった、もうあたしの役目は終わった、と、思ってしまった。
それから。
ながいながい月日が流れ、たくさんの方々の善意に触れ。
氷が溶けるように、ゆっくり心が緩んでくるのが実感されて。
人間って、「生かされて、生きている」のだな、と、気づかされる。
そんなことを思い出してるのも、やっぱ、お彼岸に父を送るのを忘れたから、かしらん。
今年、あたしは父さんのあたった(脳梗塞になった)年に、なりました。
あと20年、父さんの亡くなった年まで生きられるかしらん。
無理っぽい、かなぁ。。。
とうさん、いろいろごめんね、大好きよん。
大昔、亡父の親友の娘さんが、焼き肉屋さんを開業いたしまして。
家族で、お祝いに駆け付けました。
あたしは運転手として同行いたしまして、初めての店内にキョロキョロ。
うっかり、亡父の見張り(!?)を、忘れました。
当時の父は身長はあたしと同じでしたが、体重が百キロをゆうにこえて、腹回り125(当人申告)。
バケツでご飯、が、シャレにならないゴッフォげっふぉん、ごふぉ。。。
肉肉肉肉、さらに肉肉肉、。。。。
はっと気づいた時には、開店前のショーウィンドウがすっからかん。
ネタだと思うでしょ?
残念でした。まぎれもなく真実でして。
以後、出禁に、なりましたのでした。
体に悪いから、食べ物を少し制御しないと、と亡母に諭されると、
わたしは、好きなだけ食べて、好きなだけ飲んで、ころっと死にますから、いいのです。
と、かたくなに言い張りました。
ま、それも人生、ではありますが。
運悪く、勘のいい娘(あたしです)を持ちましたもので、あたる直前に気が付かれて、無理やり車に乗せられて。
はい、病院についたとたんに意識が飛んで、入院になりまして、その後19年七か月生き延びて。
ころっと死ぬ、なんてできなかったね。
人生なんて、そうそう、思う通りにはならないもんなのですよ、ね。
でも、わがままし放題で長生きできたんだから、どうか勘弁してくださいよ、ね。
ちゃんと回復、できたでしょ?
行きたいところにどこでも連れてってもらえたし、自分の足で出かけるのも自由だったし。
しゃべれるし、歩くのがほんの少しだけ不自由だったけど、普通は寝たきりになるか即死なのが、速く発見したから(この世に)戻れたんだよ、って。
お医者様から言われたでしょ?命あるのが丸儲け、って。
でも、たったひとつ、「好きなものを好きなだけ食べる」のだけは、きつく止められたよね。
それがかなしい、のか。
先生(医者さま)がおっしゃってました。
『人間、自分の一番の「欲」の部分に、あたるんだよなぁ。』って。
で。
歩けるから隠れて出かけて、よその、食事が出される集会に勝手に出席(紛れ込む、ともいう)して・
好きに食べて救急車騒ぎになった。のどに詰まらせて。(あたっているから嚥下障害があるのです)
そういうことで、皆様からは
「こんなに食べたいんだから好きに食べさせてあげたら?この親不孝者が、ひどい娘だ」
なんて、聞こえるように言われ、いろんな人たちから、何度もののしられた。
何一つ言い訳はしなかったけれど。
食べさせて、結果、即死したら、いやなのです。ええ、あたしが、いやなのです。
それでも、死んだほうがまし、って、おっしゃいますか?
・・・いう、のね。
よその親だから、知らない、って、言いますか?
・・・あたしは(そこでは)一人っ子だったから、兄弟での相談もできなかった。母は先に死んだ。
普通に成人男子二人分ほどは、毎日毎日食べているのですよ、父さん。
そのほかに、お店でこっそりパンを袋に何個も買い込んで、部屋の机に隠してますよ。
目をつぶってますけど。知ってたよ。
・・・・勝手なことをほざく連中よ、おまえらも、同じ立場になってみればいいのだ。
心の中で、他人をののしってしまう自分が嫌で、隠れてひとりで泣いた。
だけど。
とうさん本人には、逆らったり意地悪言ったりは、しなかった。
できなかった。
あたしが「あんまりだ」と、口をきこうとしたら、当時まだ生きていた母が、あたしを抱え込んで、泣きながら言った。
おとうさんが悪いんでない。
病気がそう言わせてるんだ、それだけなんだから、健康なあたしたちが守ってやらなきゃ、なんだ。
かんしゃくおこした父から杖で何度もぶたれても、床にまるまって、歯を食いしばって我慢した。
一番つらいのは父なのだ、と、胸の中で呪文を唱えていた。
でも、いつもそういうとき、父はふいにまともにもどって、「あぁ、」とか言いながら、あたしをぶつのをやめた。
そして、あたしの子どもたちにはそういうことはしなかったから、もしかすると
「ころっと死なせてくれなかったあたし」に腹を立てていた、のかもしれない。
長い長い介護が終わったら、いろんなことがイヤになった。
些細なことに腹が立った。
自分が考えることを、相手も考えてると思うなよ。
人間嫌いに、拍車がかかる。
自分が石ころになった、もうあたしの役目は終わった、と、思ってしまった。
それから。
ながいながい月日が流れ、たくさんの方々の善意に触れ。
氷が溶けるように、ゆっくり心が緩んでくるのが実感されて。
人間って、「生かされて、生きている」のだな、と、気づかされる。
そんなことを思い出してるのも、やっぱ、お彼岸に父を送るのを忘れたから、かしらん。
今年、あたしは父さんのあたった(脳梗塞になった)年に、なりました。
あと20年、父さんの亡くなった年まで生きられるかしらん。
無理っぽい、かなぁ。。。
とうさん、いろいろごめんね、大好きよん。
Otikomiさん、私は今もずっと覚えているのです。
何年か前にOtikomiさんが「来年の桜が見られるかな?」っておっしゃってて、
私が「大丈夫。見れます。是非見ましょう」みたいなことを言って、そしてその通り今でもOtikomiさんは毎年素敵な桜を眺めてらっしゃるのだから。
こういうことは欲張って良いのですよ!
今日も良い一日を:)
>Otikomiさん、私は今もずっと覚えているのです。... への返信
あたしも、覚えてます。
心細くて消えてしまいそうだった時、励ましてもらえたこと。
ケイエスさんやうさぎさんたちから、「桜を見るのだ!」って
忘れない。桜を目にするたびに、強くなっていく自分を感じました。
世の中の半分は敵かもしれないけど、半分は味方なんだ、って言葉を思い出して。
味方、何億居るんだ!!って、驚く話ですよね^^;
張り切って、背筋を伸ばしてまいります。
つっ転んで骨を折っても、時がくれば治るし。
肺が片方無くても、深呼吸を忘れなければ走ることもできるし。
朝は日が昇る、夜空は星だらけ。
もしあの世に行っても、知り合いばっかりで、きっと楽しい。大丈夫。うん。^^
ケイエスさんにも、良い一日でありますように^^