田舎や以前の勤め先の主体が東北でありながら、車が主体の生活でしたので五能線の乗って旅を満喫するなどということはしたことがありませんでした。今回のお盆の帰省で五能線めぐりを楽しんできました。
まずは大館から弘前に出て、五能線に乗り換えます。大館から弘前の間は岩木山(津軽富士)とリンゴ畑を眺めながら各駅停車の旅・・。最初から時間など気にしないのんびりと気分での、文庫本片手の旅です。
快速の豪華な電車に乗られる方も多いようですが、なんといっても各駅停車の旅がいいようです。両方に乗ってみてかくだんに各駅停車のほうが五能線沿線の雰囲気を楽しめます。
五能線に乗り換えてからも引き続き岩木山を観ながら電車で旅をしますが、少しすると日本海が見えてきます。
五能線から見る日本海は岩場が多く、荒々しい雰囲気があります。
各駅停車は深浦止まり・・。小学校の頃、悪友と親には内緒で深浦に海水浴にきたことがあります。なにしろ山育ちですから川や池でしか泳いだことがなく、危うく溺れかけ偶然流れてきた流木にしがみついて助かった思い出の地です。岩場の上での焚き火が暖かかったことを鮮明に憶えています。小学生ながらかなりの不良?
ここで死んだ気で頑張っていれば偉くなれたかもしれません・・などと考えながら深浦の駅で降りました。
五能線めぐりと直接関係ありませんが本日は「源内焼 その26」です。本ブログは夜噺骨董談義ですので、骨董抜きでは語れません。
源内焼は「なんでも鑑定団」に出品されてからわりと知っている方が多くなったように思えます。
源内焼 その26 源内焼交趾風三彩陽刻文深鉢
径175*高台径83*高さ57
源内焼の30CMを超す大きな作品はあまり見受けられませんが、20CMを超前後の作品であれば、ときおり売られています。さらに20CM以下のサイズであれば、手頃な値段で入手できます。源内焼は贋作があることはありますが、江戸期と明治期の見分けがつく程度の経験と知識で判別がつこうかと思います。
わりと軟陶で壊れやすいので数は減っていく一方ですので貴重な作品になろうかと思います。
本作品は割れがあり、汚く補修されていたので、廉価(2100円)でネットオークションで落札したものです。割れの補修と汚れを落とすノウハウさえあれば、汚れたり割れている作品もわりといい作品になります。
源内焼も古九谷焼もこのように虹色に釉薬が輝きます。
「源内焼:江戸中期18世紀に平賀源内の指導によって源内の故郷香川県志度(現さぬきで焼かれた三彩のやきもの。明治時代に博覧会の企画で源内の子孫によって一時再興されるが、質的にもデザイン的にもオリジナルには及ばない。
源内は博物学者として長崎に遊学した折にオランダからもたらされた新しい釉薬の技術を学び、その技術を用いてふるさと讃岐・志度の産業を振興させるため、新しい三彩軟陶質のやきものを指導した。
江戸で親しかった浮世絵の鈴木春信の工房で木型を作らせ、それを志度に送って焼かせたと言われる。源内焼は型起こしによって制作されたもので、同笵の作品が見られます。
作品は大名家や幕府高官に収められたため、近年になるまであまり世に知られていない。また、実用よりも鑑賞を主眼に制作された。」
さて、五能線もこちらに楽しむノウハウさえあれば、とても安くて楽しい旅、虹色の楽しい旅になります。
深浦の駅前はなにもないところ・・。次の電車がくるまでしばらくあるので駅前で食堂を探すことになりました。10分ほど歩くとお店がありました。ラッキー。
なにやらこんな定食があるらしい。
すべて地元の料理・・、辛口に言うとそれほど美味しいものではありませんが、地元産というところが嬉しくなります。三彩・・、おっと山菜のミズのしゃきしゃき感が堪りません。
充分に腹ごしらえしたあとは海岸を散策。
岩場の上に登れます。海水浴にきている秋田美人・・ここは青森ですので津軽美人?のビキニスタイルもまた楽しみのひとつ。青森県もまた秋田県とおなじように津軽美人、南部美人と言われ美人が多い。
このような岩をくりぬいた階段を登ります。
さて電車を乗り継いで、次は不老不死温泉へ向かいます。
なんともはや・・、七色の虹の旅になりそうな予感です。
まずは大館から弘前に出て、五能線に乗り換えます。大館から弘前の間は岩木山(津軽富士)とリンゴ畑を眺めながら各駅停車の旅・・。最初から時間など気にしないのんびりと気分での、文庫本片手の旅です。
快速の豪華な電車に乗られる方も多いようですが、なんといっても各駅停車の旅がいいようです。両方に乗ってみてかくだんに各駅停車のほうが五能線沿線の雰囲気を楽しめます。
五能線に乗り換えてからも引き続き岩木山を観ながら電車で旅をしますが、少しすると日本海が見えてきます。
五能線から見る日本海は岩場が多く、荒々しい雰囲気があります。
各駅停車は深浦止まり・・。小学校の頃、悪友と親には内緒で深浦に海水浴にきたことがあります。なにしろ山育ちですから川や池でしか泳いだことがなく、危うく溺れかけ偶然流れてきた流木にしがみついて助かった思い出の地です。岩場の上での焚き火が暖かかったことを鮮明に憶えています。小学生ながらかなりの不良?
ここで死んだ気で頑張っていれば偉くなれたかもしれません・・などと考えながら深浦の駅で降りました。
五能線めぐりと直接関係ありませんが本日は「源内焼 その26」です。本ブログは夜噺骨董談義ですので、骨董抜きでは語れません。
源内焼は「なんでも鑑定団」に出品されてからわりと知っている方が多くなったように思えます。
源内焼 その26 源内焼交趾風三彩陽刻文深鉢
径175*高台径83*高さ57
源内焼の30CMを超す大きな作品はあまり見受けられませんが、20CMを超前後の作品であれば、ときおり売られています。さらに20CM以下のサイズであれば、手頃な値段で入手できます。源内焼は贋作があることはありますが、江戸期と明治期の見分けがつく程度の経験と知識で判別がつこうかと思います。
わりと軟陶で壊れやすいので数は減っていく一方ですので貴重な作品になろうかと思います。
本作品は割れがあり、汚く補修されていたので、廉価(2100円)でネットオークションで落札したものです。割れの補修と汚れを落とすノウハウさえあれば、汚れたり割れている作品もわりといい作品になります。
源内焼も古九谷焼もこのように虹色に釉薬が輝きます。
「源内焼:江戸中期18世紀に平賀源内の指導によって源内の故郷香川県志度(現さぬきで焼かれた三彩のやきもの。明治時代に博覧会の企画で源内の子孫によって一時再興されるが、質的にもデザイン的にもオリジナルには及ばない。
源内は博物学者として長崎に遊学した折にオランダからもたらされた新しい釉薬の技術を学び、その技術を用いてふるさと讃岐・志度の産業を振興させるため、新しい三彩軟陶質のやきものを指導した。
江戸で親しかった浮世絵の鈴木春信の工房で木型を作らせ、それを志度に送って焼かせたと言われる。源内焼は型起こしによって制作されたもので、同笵の作品が見られます。
作品は大名家や幕府高官に収められたため、近年になるまであまり世に知られていない。また、実用よりも鑑賞を主眼に制作された。」
さて、五能線もこちらに楽しむノウハウさえあれば、とても安くて楽しい旅、虹色の楽しい旅になります。
深浦の駅前はなにもないところ・・。次の電車がくるまでしばらくあるので駅前で食堂を探すことになりました。10分ほど歩くとお店がありました。ラッキー。
なにやらこんな定食があるらしい。
すべて地元の料理・・、辛口に言うとそれほど美味しいものではありませんが、地元産というところが嬉しくなります。三彩・・、おっと山菜のミズのしゃきしゃき感が堪りません。
充分に腹ごしらえしたあとは海岸を散策。
岩場の上に登れます。海水浴にきている秋田美人・・ここは青森ですので津軽美人?のビキニスタイルもまた楽しみのひとつ。青森県もまた秋田県とおなじように津軽美人、南部美人と言われ美人が多い。
このような岩をくりぬいた階段を登ります。
さて電車を乗り継いで、次は不老不死温泉へ向かいます。
なんともはや・・、七色の虹の旅になりそうな予感です。
電車内の空気も空調機械を通したものでなく、駅に着くたびに土地土地の空気を感じられていいですね。
写真を拝見するだけでも、その旅の雰囲気が伝わってきます。
ところで「鑑定団」に源内焼きの大判が出品され300万と評価されました。ディテールも色彩も素晴らしいものでした。
源内焼の大きな作品は大変に数が少ないようです。柔らかいので壊れやすく完品はとくに少ないとか。ディテールは大きくても小さくても素晴らしいです。
浮世絵の工房で木型を作らせていましたので、版木の技術が生きているのかもしれません。