小生の骨董に師とも言える知人が浜田庄司の作品を数多く所蔵しておりましたが、某会館にお薄用にと何点かの浜田庄司の作品を貸し出していた際に盗難にあったそうです。共箱は残ったそうですが、作品本体は戻ってきませんでしたとか・・・。
「浜田庄司の作品は共箱がないと価値がなくなるのではありませんか?」と知人に尋ねると「浜田庄司の作品には銘はないが、見る人が見ると解るよ!」と・・。蒐集の達人は作品を見抜けていたのでしょう。
鉄絵茶碗 その5 浜田庄司作
杉共箱
口径約142*高さ87*高台径約
なんでも鑑定団で著名な中島誠之助が若い頃に浜田庄司の作品と思われる作品を先輩にみてもらったら「このような作品は浜田庄司は作らない!」と言われたことがあったそうです。見る人が見ると解るものらしい・・。
本作品は共箱がない状態での入手でしたが、小生は浜田庄司の作と推察しています。ちょうど、共箱のみの箱ありましたので、あてがいましたが、これを邪道というかは見解が分かれるところでしょう。
別に共箱を誂えて売買しようというのでもありませんので、小生はこれで誂えておき所蔵しておき、後学にしようと考えています。
つまり家のない茶碗に、家を誂えた・・??
後学として簡単に放置するのではなく、推察としては轆轤による成型、鉋による削り、釉薬の掛け方、焼成というものを総合的に判断して真作と思っており、最後は理屈ではありません。根拠のないものを誂えては後世に失礼ですから・・・。
作者云々の前に、茶碗というものは実際の茶道として使うものですので、機能性を満たしていなくてはなりません。お茶が点てやすいか、持ちやすいか、熱の伝導はどうか、景色はどうか、そのあたりに隙のある作品は良いものとは言えません。茶道の経験のないものには茶碗の鑑定は無理ですね。
浜田庄司の「鉄絵」の茶碗は本作品で五点目となります。他の四点は共箱があり、むろん真作です。茶碗では真作で13作品あり、本作品で14作品目となります。
大ぶりな他の「鉄絵茶碗」の二作品と比較してみました。
箱書きの比較は下記のとおりです。
印章の比較は下記のとおり、朱肉はきちんと確認しておく必要があります。浜田庄司の朱肉は特注ですので、赤目の朱肉を使った箱は贋作です。
浜田庄司の鉄絵茶碗はお茶席では主茶碗とはいかないかもしれません。「数茶碗」として楽しむには面白いと思います。「赤絵」や「塩釉」の茶碗なら主茶碗としての趣向はあるかもしれませんが・・。
ところで堅いことは述べるつもりはありませんが、茶道はもっともっと気楽に愉しむもののように思います。このままでは今の茶道はどんどん男の手から離れていきます。
「浜田庄司の作品は共箱がないと価値がなくなるのではありませんか?」と知人に尋ねると「浜田庄司の作品には銘はないが、見る人が見ると解るよ!」と・・。蒐集の達人は作品を見抜けていたのでしょう。
鉄絵茶碗 その5 浜田庄司作
杉共箱
口径約142*高さ87*高台径約
なんでも鑑定団で著名な中島誠之助が若い頃に浜田庄司の作品と思われる作品を先輩にみてもらったら「このような作品は浜田庄司は作らない!」と言われたことがあったそうです。見る人が見ると解るものらしい・・。
本作品は共箱がない状態での入手でしたが、小生は浜田庄司の作と推察しています。ちょうど、共箱のみの箱ありましたので、あてがいましたが、これを邪道というかは見解が分かれるところでしょう。
別に共箱を誂えて売買しようというのでもありませんので、小生はこれで誂えておき所蔵しておき、後学にしようと考えています。
つまり家のない茶碗に、家を誂えた・・??
後学として簡単に放置するのではなく、推察としては轆轤による成型、鉋による削り、釉薬の掛け方、焼成というものを総合的に判断して真作と思っており、最後は理屈ではありません。根拠のないものを誂えては後世に失礼ですから・・・。
作者云々の前に、茶碗というものは実際の茶道として使うものですので、機能性を満たしていなくてはなりません。お茶が点てやすいか、持ちやすいか、熱の伝導はどうか、景色はどうか、そのあたりに隙のある作品は良いものとは言えません。茶道の経験のないものには茶碗の鑑定は無理ですね。
浜田庄司の「鉄絵」の茶碗は本作品で五点目となります。他の四点は共箱があり、むろん真作です。茶碗では真作で13作品あり、本作品で14作品目となります。
大ぶりな他の「鉄絵茶碗」の二作品と比較してみました。
箱書きの比較は下記のとおりです。
印章の比較は下記のとおり、朱肉はきちんと確認しておく必要があります。浜田庄司の朱肉は特注ですので、赤目の朱肉を使った箱は贋作です。
浜田庄司の鉄絵茶碗はお茶席では主茶碗とはいかないかもしれません。「数茶碗」として楽しむには面白いと思います。「赤絵」や「塩釉」の茶碗なら主茶碗としての趣向はあるかもしれませんが・・。
ところで堅いことは述べるつもりはありませんが、茶道はもっともっと気楽に愉しむもののように思います。このままでは今の茶道はどんどん男の手から離れていきます。
ちなみに当方の他の浜田庄司の作品はネットではなく素性の明確な作品です。
益子焼は庶民的で味がありいいですね。とくに浜田庄司の人間的なおおらかさ、一瞬の技の見事さには大いに感服しています。
今後も蒐集は続けますが、家内曰く「また浜田庄司?」という愚痴が蒐集を妨げています。
妻に怒られ、少し控えようかな(少しずつお金を貯めて買おうかな)と思っておりました、ついつい、また、欲しくなってしまいます。
浜田庄司ですが、いいですね。こちらのブログ、文献等で勉強し、また、いろいろな作品をネット、古美術店で見て、庄司に関し、少し、知恵がついてきました。
ヤフオクで高額なものは、掲載していただいた内の、庄の字の十の真ん中がはっきりしていない方の印を見かけます。
一方、古美術店では、十の真ん中がはっきりしている方を何点か見ました。
これは同一印で、押し方の違いなのでしょうか?
教えていただけると幸いでございます。
ただ箱は本物で中身が偽物というのもありますので、あくまでも作品そのもので浜田庄司の真贋は決めるのが原則のようです。逆に中身を入れ替てますから箱が偽物で中身が本物も生まれてきますから・・・。
なおこのブログの「鉄絵茶碗 その5」については疑念がありますのでご了解ください。他の茶碗は真作です。