夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

忘れ去られた画家 群仙会遊之図 小田海僊筆 その3

2012-10-22 05:18:48 | 掛け軸
まずは山種美術館へ・・。思い出の美術館です。消沈している私を元気づけるために今の家内に誘われてきた美術館のひとつです。



「竹内栖鳳 特別展 没後70年 京都画壇の画家たち 」という展覧会です。




さながら動物画展といえるほど動物画の多い展示会です。竹内栖鳳としてはもっとも脂の乗り切った時期の作品が多く、やはり当時、お金にものを言わせて購入したコレクションといった感じです。

そうはいえどもさすがにいい作品があります。円山応挙から始まり、長沢芦雪、川端玉章、今尾景年、森寛斎、橋本関雪、山本春挙、都路華香、西村五雲西山翠嶂伊藤小坡・・、など本ブログでもお馴染みの画家の作品が数多く出品されています。リンクしていない画家でも本ブログに投稿していますので参考にしてください。

本日はその展覧会の元となる京都画壇の画家ということで小田海僊の作品です。本作品で本ブログにて三作目となります。

群仙会遊之図 小田海僊筆
絹本水墨淡彩 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦2020*横660 画サイズ:縦1230*横510



小田海僊:天明5年(1785年)~文久2年閏8月24日(1862年10月17日))は、江戸時代後期の日本の南画家。 通称良平、名は羸(るい)または瀛(えい)。 字を巨海、号は海僊の他に百谷または百穀。



周防国富海(現 山口県防府市富海)に生まれ、長門国赤間関(現 山口県下関市)の紺屋(染工)を営む小田家の養子となる。 22歳のとき、京都四条派の松村呉春に入門し、同門の松村景文や岡本豊彦らと名声を競ったが、やがて頼山陽に感化され南画に転向。



九州に遊学し、中国元明時代の古書画の模写をするなどして研究を重ねて、独自の画風を確立した。文政7年(1824年)、萩藩の御用絵師となり、一時江戸に滞在。2年後、京都に戻り活動。



嘉永元年(1848年)から安政元年(1854年)にかけて画室を設けているが、このころ富岡鉄斎に絵を教えたと推定されている。





さて二つ目の展覧会は太田美術館です。時間がないので山種美術館からタクシーに乗りました。



「月岡芳年 没後120年記念」という展覧会です。




こちらでは珍しい月岡芳年の肉筆画が見られます。

さすがに二つの美術館のはしごは疲れました。館を出ると六本木はもう夕暮れ・・。



原宿ロールケーキを食べて帰路につきました。



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