夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

院展から東京国立博物館

2012-09-19 05:14:38 | 陶磁器
院展は母が好きで良く出かけていました。秋田や盛岡、仙台など、時には東京まで上京して観に行ってました。亡くなった家内も日本画を習っていたこともあり、同伴で出かけたこともあります。

久しぶりに今回はチケットを戴いたこともあり、観にいきましたが全く観るべきものがありませんでした。厚塗りで画一的で日本画の進んできた道は先があるのだろうか? というほどひどいものでした。修練というものが見当たらず、デッサン力もなくただ絵の具を厚塗りしたもの・・。

あまりのひどさに気分が悪くなり、こういうときはと・・、よく上京し時から何度も来ている日本文化の宝庫である東京国立博物館へと足をのばしました。

ちょうど秋の庭の公開期間でもありました。内部の閲覧に時間を費やし、庭の回覧時刻16時までギリギリで入場・・、見る時間が少なく駆け足で見学しました。



内部の閲覧はかなり収穫がありました。以前に投稿した平福穂庵の「羅漢図」は第九尊者らしいというマイナーなことなど・・。煙からは龍が出るらしい。



こういうことに縁も所縁もないと何気なく見過ごすことです。



ないげない知識が骨董には大切ですし、醍醐味でもあります。

もうひとつ気になったのが奥田頴川の水指です。



ガラス越しの撮影ですので、作品自体はもっと艶があります。



麒麟? 伝奥田頴川だそうで奥田頴川と断定はしていないそうです。



火入れではなく水指?? どうも元は底に穴が開いていて植木鉢だったとか・。これには驚きです。



本ブログに投稿した作品を思い出しました。骨董市で一万円で購入した作品です。



この図柄が気に入っています。



奥田頴川とは違うような、そうでもあるような・、原点は同じようです。銘の入れないものに贋作をつくる意味もなく・・。



骨董は数学と同じように思えます。数学は積分・微分まで行くと今ままで習ったことが全て繋がるように思えてくるところがあります。もっと奥が深いのでしょうが・・・。



骨董も書画や陶磁器が過去のすべて繋がっているように思えることがあります。東京国立博物館は骨董の宝庫で、そう感じることがあります。

本ブログに投稿した梶川、常嘉などの印籠もありました。全てが勉強になります。

ついでにもうひとつの作品を取り上げます。野々村仁清の水指です。関東大震災で破損した作品です。仁清というと色彩豊かな作品を思い起こすでしょうが、真骨頂は本作品のような銹絵の作品です。



昨年の震災で浜田庄司の作品が益子を中心にだいぶ破損したようですが、いずれ補修されるのでしょう。



本ブログにも仁清の茶入を紹介しました。もろん伝です。

写真の写りが悪いままなので再度撮影しました。



本作品は祖母が所有していた作品です。



祖母から小生の仲人をしていただいた方の奥様に譲られました。



そしてその方から形見分けとして小生が戴きました。



脇に「仁清」の小型の幕印が押印されています。箱書きもどなたのものなのでしょうか?



その形見分けのときに楽のお茶碗とどちらがいいですか?と聞かれました。楽のお茶碗は弘入の作品で相違なかったのですが、楽のお茶碗はいつでも手に入ると思い、しかもどちらかは娘さんに形見分けということもあり、確実なものを娘さんにと思い、茶入れを所望しました。



その方のご夫婦は祖父とも両親とも付き合いがあり県会議員も務められた立派な方でした。祖父がその方の新築祝いのために野間仁根の作品を父から取り上げて持っていったということもありました。すべては思い出の中の昔話です。


はてさて真贋のほどは・・、などと考えていると博物館の出口でした。真贋の森を抜けてきたような気分です。









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