た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

節季

2018年12月18日 | essay

 早朝犬の散歩に出かけると、週に二度、軽トラックで野菜を販売している女性に出会う。商売気があるのかないのか、幟(のぼり)も値札もないから、最初は販売しているのか、ただ野菜を荷台に積んで憩っているのかわからなかった。しかし採れたてのものを百円ニ百円で売っており、量的にけっこうサービスしてくれるので、頻繁に利用するようになった。「にいちゃん、もう一束おまけしとくわ」という感じである。

 近所の老婆たちも、買い物に出なくても便利だと、一人、二人、集ってくる。彼女たちは、どちらかというと買うことよりしゃべることの方に時間を費やして帰っていく。男は私だけである。そのせいか、サービスもいい気がする。

 種類は多くない。二、三種類。あくまでも家庭菜園の販売である。小松菜が終わり白菜が出始めたと思ったら、今朝は南天の枝を売っていた。正月の飾り用らしい。どう飾るのかわからないが、一枝買い求めた。何でもいいのだ。犬の散歩に出かける前にニ百円ほどポケットに入れておくのだから、何かは買うのである。

 おかけで季節感をよりはっきりと感じるようになった。スーパーの野菜売り場を覗いて回っても味わえない感覚である。手押し車でやってきた、背の曲がった老婆が、私も顔見知りと挨拶してくれる。犬にまで挨拶してくれるようになった。犬は興味がないから知らんぷりだが。

 ふと、先日ふらりと入ったフレンチレストランのことを思い出した。雰囲気のある店内だったが、注文はすべてアイパッドでさせられた。「そこのボタンを押していただければ、厨房に注文が伝わります」というわけだ。料理はとても美味しかったので、できれば店員の顔を見て品を選び、感想を伝えたかった。アイパッドの方が能率がいいということか。それとも最近は、店員と会話することさえ嫌がる客がいるということか。

 人の顔を見る贅沢がある。そのもう片方に能率がある。AIがある。

 私はやはり、百円玉をポケットに入れて、軽トラに向かう方が性に合っている。

※写真は土岐市下石地区

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