1月9日、午前6時48分、母が亡くなった。
81年の人生。3月で82歳になるところだった。
12年近い歳月、言葉も、感情も全て自分の内側に秘めたまま、ベットの上で寝たきりだった。
私が切に望んだ「母との和解」は成されぬままだった。
骨になった母を見た時、私の中に少しの安堵感が落ちて来た。
「母との和解」と言っても、それは私が勝手に望んでいただけの事。
母自身は望んでいなかっただろう。
いったい何を「和解」するのかさえも分かっていなかっただろう。
「和解」は、これから私自身が、私自身の中で行なっていく事なのだ。
まだ、何も終わっていない。
色々ご心配下さった仲間の皆様、ありがとうございました。
私は大丈夫です。
81年の人生。3月で82歳になるところだった。
12年近い歳月、言葉も、感情も全て自分の内側に秘めたまま、ベットの上で寝たきりだった。
私が切に望んだ「母との和解」は成されぬままだった。
骨になった母を見た時、私の中に少しの安堵感が落ちて来た。
「母との和解」と言っても、それは私が勝手に望んでいただけの事。
母自身は望んでいなかっただろう。
いったい何を「和解」するのかさえも分かっていなかっただろう。
「和解」は、これから私自身が、私自身の中で行なっていく事なのだ。
まだ、何も終わっていない。
色々ご心配下さった仲間の皆様、ありがとうございました。
私は大丈夫です。