中山美穂 /「世界中の誰よりきっと」MIHO NAKAYAMA CONCERT TOUR '93 On My Mind
ちょっと遅れましたが,冥福をお祈り申し上げます。
というか,かなり驚きましたね。たぶん,時期的に「ヒートショック」ではないかと思いますが。
この歌が流行していたとき,まさに自身は水郷絶賛往復中。かろうじて「歌謡曲」がカテゴリーにあって,宇多田ヒカルに代表される「うますぎるシンガーソングライター」が流行するちょっと前だった。
いまから約30年前は自身も20代。若いってことはパワーがあって,いまよりも仕事量が多かった記憶も記録もあるけど,それでも「CDレンタル」する根性があった。
ダビングしたカセットが真夏の暑さで伸びてしまうことなど多発したもの。Windows98SEを買うまではCD-Rで音楽コピーなんて手段がなかったし,1990年代末はまだCD-Rも高かったのではないかと。
それでも,ZARDやこの辺りの曲は,まずはラジオでヘビーローテーションされていた。ぼんやり記憶では「走れ歌謡曲」という深夜放送がちょうど水郷への出発時間と一致していたので聞いていた記憶もある。「歌うヘッドライト」もあったかね。
それにしても,中山美穂ほど最後までイメージが変わらない人もいなかったのではないだろうか。
役者としても歌手としても,中山美穂は正直あと余裕で20年くらい活躍出来たと思う。
そして,真相が明らかにできるのなら死因をはっきりさせて,ヒートショックなりなんなりへの警告もしてほしい。
いやあ,誠に残念です。