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戦時、大連付近に 「海岸に行くと星がキレイに見える場所」=星が浦の命名

2020年07月01日 15時36分56秒 | 記録
星が浦(ほしがうら) 戦時、大連付近に 「海岸に行くと星がキレイに見える場所」=星が浦の命名理由200701記載

 昭和30年1月1日より愛国、広里、安原、昭和、北園、鳥取、新富士町、鶴野、北斗、美濃、音羽、大楽毛、新野、鶴丘、山花、桜田、青山とともに地域の旧字名を変更して設定された。

 これらの字名は市民に公募して集まった案をもとに丹葉節郎・釧路市公民館長らが審査員となり選定したものとされる。

 選定当時、市職員であった方がその母の発案し応募したものから採用された。

2001年5月になり、筆者の問いにその職員の方は次のように申されている。

 「中国の大連のちかくに『星が浦』という地名があったのをおぼえており、現在の星が浦は公募当時、文字通り「海岸ぶちに位置していて施設などなにもなく、光を発するものもなく海岸に行くと星がキレイに見える場所かと思い、『星が浦』で応募した」。

 「審査会で、丹葉節郎氏が『大連にあったナー』と発言し、出所がバレてしまった」と語っている(2001.5.30)

 ちなみに星が浦川は、釧路土木現業所資料によると昭和48年の命名。

 これまた市民の応募作のなかから、流域の地番を河川名として付したとされる。

 白木政明氏の話では、別途前川水系に属する川の一部を区画整理のなかで遊水路とし、「星が浦川」と命名した。別途前川には鳥取川、竜神川、大楽毛川などが流れこんでいたと、話している(2001.5.30)。

 戦時、大連付近に 「海岸に行くと星がキレイに見える場所」=星が浦の命名理由200701記載。
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