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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

明治初期の和船絵馬か 浜中町榊町神社法宝物700220

2023年11月11日 09時39分16秒 | 旅紀行
明治初期の和船絵馬か 浜中町榊町神社法宝物700220

出会った絵馬は20センチ×15センチで比較的小さい。
煤けているうえ壁に打ち付けられ、残念ながらこの絵馬の奉納者や奉納年月日を確認することができなかった。
船の帆は13反帆。石数にして200石から300石くらいか。

江戸時代後期に奉納されている和式の商い船。
 彩色板製で神社の創建年代から考察するに江戸末期とは考えにくいのだが。霧多布湾に入津した商船主が航海の無事に報謝するため奉納したものか。
 釧路・根室地方の神社で船絵馬に出会った初のケース。
 
 先行して寺島敏治編さん員が十勝・大津稲荷神社で1969年6月、杉浦嘉七奉納の絵馬を発見していた。
 釧路市ではその前もその後も、絵馬の尊竿はともかく和船絵馬の発見はない。
 浜中町内の三神社で新・旧5点の絵馬に出会った。

 どうして浜中町に集中しているのか。『北海道統計』などで入津の系統をたどることにより、その意味を考えてみたい。
 とりわけ「キイタップ 元禄」と記録された地域の、生業・生活・文化理解の端緒となるはず。
 厚岸港、根室港の中間に位置し、明治40年代初頭にはニシンブームに湧いた土地柄。

 船こそ交通・運輸の手段にして、生活の手立てであった。
 絵馬は霧多布湾の近世・近代を語る、シンボルなのだと考える。
 (市史編さん員 佐藤宥紹 『新釧路市史会報 第3巻題5号 通巻15号』 1970年3月25日)
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