毎年恒例に成りつつあるスモークド・チキン、去年は雨が多すぎて出来なかった。
月曜日は、ほぼ12時頃から始める準備をした。
何故か終始ゴンタが妙にまとわりついていた。
4日間マリネしたチキンを5時間以上かけて燻すのだから結構手間隙がかかる。
だいぶ前に剪定した林檎の木の枝をしまって置いたので、スモークの基にした。
チャーコールにちゃんと火がついて燃え始めてから燻し始める。 約20~30分ごとにりんごの木の枝とチャコールを追加していく。
出来上がりはチキンとは思えない軟らかさと味になる。 しかし自家製の味をしめると、止められなくなるのが辛い。
燻製の煙は、一部まだ雪の残っている裏庭まで流されていた。
翌日、残ったチャーコールを午後に処分した。 夕方には、火が残っていたのだろう周りに火が回り始めた。
もう30秒気がつくのが遅れたら前の雑木林が小火(ぼや)になって大変な事に成っていただろう。
大急ぎで畑のホースを引っ張っていって水をかけたので、ギリギリの所で鎮火できた。
フェンスの向こうで地面で燃えていた枯れ葉から枯れた松葉がいっぱいに引っかかっている立ち木に火が移っていたら簡単に消せなかっただろう。
兎に角、雨が降っていないので思った以上に回りはドライである。 ほんのちょっとした不注意で取り返しのつかない事になるかもしれない、年末年始は余計に気をつけないと。
今年の夏にフェイスブックを通して学生時代の仲間とリコネクトした。
その時は、古いアルバムから昔の写真をスキャンしてオンラインに乗っけた。
先日、来年四月の個展の為に倉庫を整理していて学生時代の作品を見つけた。 その一つに1972年の日付があった。
1972年から73年にかけてオハイオ州ディトンにあるデイトン・アート・インスティテュート(Dayton Art Institute)に通っていた頃の作品で、どれも習作である。
友達のグループのコンサートのポスターなど作って、授業の一環にして楽しんでいた。
丁度、エッチングやシルクスクリーンのコースを取っていた頃で、とても懐かしい作品だ。
蟹が美味しい季節である。 先日、ウィリツ・ニュースのフェイスブック・ページに恒例の茹でた蟹の即売のお知らせが出ていた。
早速、金曜日にウィリツまで出かけたが、残念ながら事情で即売会が中止になったらしい。
昔は、ご近所さんに連れられてフォートブラッグまで蟹を獲りによく行ったものだ。
ダンジネス・クラブは、日本語ではアメリカ・イチョウガニと言うそうだが、サン・フランシスコのフシャーマン・ワーフで食べられるカニが一番分かりやすいだろう。
蟹料理はいろいろあるだろうが、我が家ではシンプルなポン酢にレモンが定番で、これに新米があればつい食べ過ぎてしまう。
12月も半ばを過ぎたのにまだロビンが沢山いる。 今年の12月は、珍しく気温が零下の寒い日が長く続いている。 今月の6日に降った雪が一部まだとけないで残っている。
日中は良いお天気で暖かくなるが、夜の間にカチンカチンに凍ってしまうので、日陰にある雪は溶けないで残る。
人間はもう大分寒さに慣れてきたが、ロビンはどうなのかと思った。 それにしても雨が少ないというか全然降らない。
今年はマドロンの実が豊富で鈴なりになっていたが、もうほとんど食べつくしてなくなってしまった。
よく観ると、マドロンの実を丸ごと食べる鳥もいれば嘴で噛んで食べているのもいる。木の下は食べかすで散らかり放題である。
ロビンの朝は早い、朝一で明るくなると20~30匹の群れがあっちこっちからやって来て、マドロンの実を求めて枝から枝へとバタバタ飛び回るので結構騒々しい。
ロビンは、ソング・バードであるので、ピーチクパーチクとよく鳴く。 独特の可愛い声で、特徴のある鳴き方をする。
ロビンの狙いは、マドロンの実よりも本当はミミズだろう。 雨が降ると地面にミミズがわいてくるが、雨が降っていないのでミミズもいない。
マドロンの実を食べた後、下に降りてきて盛んに落ち葉をひっくり返したり、地面を掘ったりしている。 多分虫や蜘蛛を探しているのだろう。
今まで近づいてズームアップした写真が、なかなかうまく撮れなかった。 やはり野生の鳥なので警戒心は強い。 ある程度以上の距離に近づくとサット飛んでいってしまう。
お昼前、リビング・ルームの近くの裏庭にロビンが餌を探しに来ていたので、今まででは一番近い距離で写すことが出来た。
三脚なしのバカチョンのデジカメでは、ここまでがアップの限界だろう。
スタジオのガレージ・ドアを開けておいたら一匹のロビンが迷い込んだ。 窓のところでバタバタとスタックしていたので、サーモン用の網で捕まえて放してやった。
毎年、家の周りだけでも数百匹は来るので、この地域ではかなりの数になると思うが、この後どこへ行くのか知らない。
冬でも時々数匹見ることもあるので、この辺りに巣を作って越冬するロビンも少しはいるのかもしれないが、多分大多数はもっと南に向かうのだろう。
だいたい3時までにサン・フランシスコを出れば、マリン・カゥンティーでの停滞は避けられる。
夏だと9時前後まで明るいので、夕方まで市内で遊んでラッシュアワーが終わった後に帰途につくことも可能だが、5時半頃に暗くなる今は出来ない。
犬たちの夕食の件もあり、出来るだけ明るいうちにレイトンビルに到着したかった。
それに時間があれば、ユカイアでちょっとした用事も済ませておきたかった。
金門橋の前にあるトンネルに入るちょっと前近くで接触事故があったようで、暫くノロノロ運転を強いられた。
サンタ・ロサに入る前で少しノロノロ運転があった以外は、道もそれほど混んでなくクルーズ・コントロールを65マイルにセットして楽チン運転。
新しいエンジンは快調で、順調にブレークインが出来たようだ。
サン・フランシスコ日帰り旅写真集の残るは、ゴールデン・ゲート・ブリッジからレイトンビルまでの帰り道。 ジャパン・タゥンの駐車場を出て、ゲーリー・ブルバードを西に。
19thアヴェニューを右に曲がって101に合流して金門橋へと。
トンネルを抜けて新しく工事中の場所を右手に見ながらブリッジへと。
お昼にウォーター・フロントのピアー35で停泊していた豪華客船が、ちょうど出航して金門海峡を出て太平洋に行こうとしていた。 金門橋のつり橋の鋼鉄ロープをそばにいる人と比べる太さが良く分かる。
遠くにサン・フランシスコのダゥンタウンが見える。
これからもう一つのトンネルを抜けて3時間のドライブが待っている。
麗鳶瑠から桑港まで車で約3時間、片道150マイル(250Km)くらいのドライブで、たいてい朝一に家を出て暗くなる前に帰ってくる足早の日帰り旅行である。
サン・フランシスコの顔といえばやはり金門橋であろう。 特に北から101で下ってくると余計にそう感じるのかもしれない。
現在、工事中の金門橋から真里菜に抜ける道、パレス・オブ・ファインアーツの建物が見える。 マリナのセント・フランシスのヨット・ハバーを左手にフィシャーマンズ・ワーフを迂回してウォーター・フロントへ。
この辺りは新しく開発されまったく様変わりしたように新しくなった。大型客船がピヤー35に泊まっていた、そのまま湾岸にそってドライブ、この辺りは最近新しく開発されまったく様変わりしたように綺麗になった。
今回は、S.F.の新聞で紹介されていた市内のポートレル・ヒルにあるレストランで昼食。
18thストリートからシティーホールのそばを通って日本町へ。 紀伊国屋で漫画や本、ニジヤでおせち料理の材料を仕入れる。
心配していた地下駐車場の高さ制限もぎりぎりでクリヤーして問題なく駐車できた。
ここでは必要なものの買い物を手早く済ませ、帰りのフリーウェーが込む前に街を脱出するのがミッションだ。
最近の最低気温は20度台後半、一度14度(-10ºC)を経験すると20度台は寒くてかなわないという感覚ではなくなってくる。 とは言っても慣れない寒さに凍えるよりは気分転換のドライブに行こうということになった。
昔はしょっちゅうSFベイエリアに遊びに行っていた、ガソリンの値段もまだ安かった。 しかし街でドライブ・バイ・シューティングの発砲事件が続発した頃から余り行かなくなった。
それでも月に一回は食事とかコンサートなどに行っていたが、ガソリンの値段が一時5ドル近くになってから年に何回行くか位の頻度になってしまった。
クルマでフリーウェーを利用するよりもネットでインフォーメーション・フリーウェーを使うほうが多くなったのも影響があるだろう。
そんな訳で先回、新車のレンタカーで行って以来のサン・フランシスコ行きで、新しいトラックのエンジンのブレークインとお正月料理用の素材仕入れを兼ねての長距離ドライブである。
レイトンビルを出るときはまだ回りは凍った雪に囲まれていたけれど南にいくにしたがってだんだん雪も無くなって行った。
ユカイア・バレーに下っていく途中の北側斜面には、まだ雪が残っていた。 メンドシノ・カゥンティーシートの町ユカイアは、梨の果樹園が沢山あったが、殆どがブドウ畑や宅地に変わってしまった。
愉快屋(Ukiah)の辺りからサンタ・ロサまでハイウェー101号線の両側には多くのヴィンヤード(Vineyard)とワイナリーWinery)が数多く見かけられる。 たまにイチゴ農園とか酪農場の牛もハイウェー沿いに見かけられる。
Hyw-101に沿って名前は知らないが、とても大きな岩がレイトンビルとサン・フランシスコの中間点辺りにある。 その麓をロシアン・リバーが流れている。
例年のロシアン・リバーは、12月には水嵩もかなり上がって来ている時期だが、夏の低い水位のままのように見える。 これではサーモンも上がって来られないかもしれない。
この辺りは草のローリング・ヒルスとオークの木が見える田舎の風景が、この20年の間にブドウ畑に変わってしまった。
最近、映画監督のフランシス・コッポラが買ったと噂のワイナリー。
サンタ・ロサまでほぼ二時間のドライブ、この辺から地形もフラットになり平野に降りてきた感じがする。
先日のTVニュースで伝えられていたほど空気が汚れているとは見えなかった。
マリン・カゥンティーを通って、いよいよ金門橋(Golden Gate Bridge)が見えてくる。
もうすぐサン・フランシスコだ。
こんなに寒い日が続くのは、麗鳶瑠に引っ越して以来初めてだ。
今朝は、14ºF(―10ºC)で零下の日が続いている。 昼間は52ºFで昨日より10度ほど暖かいので、少しずつ凍った雪も解け始めた。
兎に角、寒くて何も出来ないのを口実に明日は、サン・フランシスコまで気分転換を兼ねてドライブすることにした。
雪は昨夜のうちに止んだ、今朝明るくなって表に出ると雪がパリンパリンに凍っていた。
クルマの窓に溜まった雪を除雪しようとしたが、カチンカチンに固まっていた。
雪景色を写しているとリス君が近くを横切った。 何時もの様に動き回るので、余りうまく撮れなかった。
この冬初の積雪である。 寒いけれど、お天気が良いのでロビンたちも相変わらずマドロンの実を群れを成して食べに来ている。
予報では、お天気の日が続くようだが、寒さが続けば凍った雪は簡単にはとけないだろう。
今朝も気温はー7ºCまで下がっていたので、北からの冷たい低気圧からの雲が届く頃には行きになるだろうと感じた。今シーズン初の雪は、予報どうり午後から降り始めた。
一日中温度が上がらず夕方六時で33.5ºC。このまま振り続けるとかなり積もるだろう。 ラジオでは、101が事故の多発でクローズになっていると、CHPのレポートとして伝えている。
今朝はなんと19度Fまで下がった、今回は正確に計算してみよう。
19-32=-13x5=-65÷9=-7.22 約零下7ºCとなる。 このあたりで、この温度まで下がることは余りない。
アトリエのスグ外で二匹のリスが遊んでいたので、カメラを持って表に出た。
そっと近づくのだけれどリス達も少しずつ離れていく。 そのうえうまい具合に木の陰になるように移動するので、なかなかシャッター・チャンスがない。 見えるのはふさふさとした尻尾だけであった。
野生の動物を撮影しようとすると意外に簡単でないことが分かる。 ズームして詳細が見える距離に近づこうとすると警戒して逃げてしまう。
今回は幸運にも丁度そばにあったマドロンの木にロビンが飛んできて実を食べ始めた。 普通だとこの距離まで近づく前に逃げてしまうのだが、向こうから飛び込んできたので、そっとカメラを構えてズームアップした。
フェイスブックに動画をアップロードしたので、興味のある方は観て下さい。
フェイスブックへのリンクは、左のコラム上にあります。
なんと今朝は華氏21度であった、摂氏でマイナス6℃位だろう。
天気予報どおりの冷え込みで、週末には雪の予報も出ている。
倉庫にしまっておいた藁(わら)を出してきて犬小屋にたっぷり入れてやった。今朝はまだ松の木の下の松葉のベッドで寝ていたが、雨か雪になるとそうもいかないだろう。
久しぶりの冷え込みで、霜が降りて辺りが白くなった。
寒かったけれど思い切って表に出て写真を写した。
マドロン・グローブの周りをぐるっとしただけで早速室内に返ってきた。
朝日が出てきて光を反射して霜の中に小さなダイヤを散りばめたようだ。
今日は水曜日、リサイクル・センターにゴミをもって行かなくては、、、
おぉ~さぶっつ
2013年(平成25)も残り一ヶ月を切ってしまった。 一年の最後の月、一種の人工的に作った区切りだけれど、つい一年という単位で考えさせられて、この一年を振り返ってみてとかになってしまう。
今年は色々なものがよく壊れた。 麗鳶瑠(Laytonville)に住んで、約四半世紀になるのだから当時買った道具や機械もそろそろ寿命で修理や買い替えが必要になってきているのだろう。
北米では一般的に穴掘り機のことをバック・ホー(back-hoe)と呼ぶ。 ローダーやトラックターの後ろに油圧を利用した掘削機用のバケツを付けたのが名前の由来だろう。 初めてこの言葉に出くわしたころは、「バッコー」に聞こえたので面白い名前だと思った。
クリケットは、正式にはバック・ホーでなくトゥ・ホー(tow-hoe)と呼ばれる、名前のとおり引っ張って移動することができる小型の掘削機のこと。
土木機器は田舎の開拓には必需品で、道路のみぞや排水路、果樹の植え付け等、この穴掘り機がないと、つるはし(pick)やシャベル(shovel)での作業では追いつかない。
夏には、クリケットの油圧シリンダーのシールが弱くなりハイドロイック・オイルが少しずつもれ始めた。 このときも修理に色々手間取って一ヶ月近くかかった。
以前にも書いたが、道具がないと不便で大変だけれど、あったらあったで、メインテナンス、修理そして維持費がかかるので楽ではない。
今度は、手動のスターターが壊れた。 これも長年使っていたので、紐の部分が磨耗して切れてしまった。 本体を新品にすると100ドル以上する、一応ほかの部分は問題なく、新しい紐代の2ドル50セントで直すことが出来た。
トラックの修理のときも感じたけれど、最近の修理は壊れた部分を直すと言う作業は、新しい部品を入れ替えるだけの作業だ、無駄が出るようだけれど効率が良いからだろう。
最近の産業製品のデザインに関してデザイナーは、はたして製品の製作デザインをするだけでは十分にデザイナーとしての仕事をしていないのではないかと思うようになった。 やはり製品の使用後の廃棄処理の時点まで考えたデザインするべきだろう。