なんの悩みも問題も気がかりなこともなく、心も身体もスッキリした状態で毎日を送れたらいいだろうな、と思います。
今の私には、体調面の不安や将来的な心配などが常にドーンと居座り、その他にも日替わりのように次々訪れる気がかりなことが、常にあります。
とは言っても、それらの重圧に耐えかねて、身も心も滅ぼされるといったことは今のところないので、私にとってはこれでも「身の丈に合った苦」なのかなあ、とは思います。
今までの人生を振り返ってみると、なんの苦もなく生きられた時期はありません。
ま。こんな風に言ってしまうと、「さぞ苦労の多い人生だったのね」と同情されるかもしれませんが、そんなこともないと思います。生きていれば誰もが経験するであろう範囲の 悩み苦しみ程度だったと自覚しています。
たとえば10代の頃の自分を思い出してみると、その頃にはその頃なりの悩みや嫌なこと、気がかりなことはありました。でも、その頃に悩んでいたことは、今となっては全く気にしてないし、今の私にはもはや関係ないことばかりです。
20代30代とそれぞれの年代ごとにも、悩み苦しみの内容は変わっていき、今となってはもうそんなことはどうでもよくなっていたり、解決がついていることばかりです。
それでも共通して言えることは、どの年代をとってみても、ある一定量の「苦」は、常に自分の中に抱えている、ということです。
自分の心の部屋の中には、メインの苦しみが座る大きなソファーがひとつと、その他の悩みや気がかりが座る2~3脚程度の椅子が置かれているようなイメージが浮かびます。
そして、そこは空席になるということはないのかも。
なので、たとえば大金を使ってメインの苦を無理やり取り除くことができたとしても、空席のままにはしておけないので、すぐにまた同じくらいの別の苦しみがやってきて座る、という現象が起こるのではないかなと。
生きている以上、その時の自分に見合った苦しみが ある一定量あるのは仕方ない、と考え、これを取り除いてもまた別の苦がくるなら、今ある苦となんとか折り合いをつけてやっていくしかないかな、と。
今現在抱えている問題や悩みや気がかりなことも、いつかは必ず消えていくものでしょう。
過去を考えてみると、その問題と正面から向き合い解決し消せたものもあれば、時間の流れと共にいつの間にか消えていったものもあります。
苦しみというのは、気持ちの持ち方ひとつで消せることもありますが、意識を変えることは難しいことでもありますよね。
ただし、自分の限界を超えた大きさの苦というものは、絶対にこないものだとは信じています。
少なくとも、今こうして無事で生きていられるということは、いろいろあっても、結局なんとかなるものなのか。。。