自分のやりたいことだけやって、自分の好きなように生きて、幸せに生きられたら、それは最高の人生だと思います。
でも、そんなこと無理に決まってる!
まあ、そんなふうに思ってしまいます。
だけど、もしかしたら、それは可能なことだし、本来、人はそのように生きてこそ、その人らしい充実した人生を送ることができるのかもしれない。
と、近頃本気で考えるようになってきました。
自分の好きなこと、やりたいことだけやる、なんていったら、人に迷惑をかけちゃったり、自分の心身にとって悪いことばかりしたり、怠惰な生活を送り続けることになったらどーする!?
って、不安も浮かびます。
ただ、自分自身も含め、世の中のほとんどの人は、好きなことができる自由が与えられても、身を滅ぼすような選択は望まない気がするんですよね。
身を滅ぼすまででなくても、ゲームやギャンブル、食べることや買い物などに熱中したくなることはあるかもしれません。
でも、そのようなものに延々と熱中し続けることは、普通は難しく、ある程度熱中し気が済んだら、次のなにかをしてみたくなるものだと思うのです。
人はみな、どのように生きれば自分らしく輝き充実した人生が送れるのか、本当は心の奥深くの部分で知っているような気がします。
でも、好きなこと、やりたいこと、興味があること、といった標識が見えても、そちらに向かうのは不安がありやめてしまう。
今歩んでいる人生ロードが一番安定していると、多くの人が言っているから、とか、今は生活がいっぱいいっぱいで、それどころじゃないんだ! とか、そもそも自分はなにをやっていいかわからない。。
といったような理由で。
人それぞれやりたいことをやって生きる世の中、というと、無秩序となり社会崩壊してしまうようなイメージを持ってしまいがちでしたが、そんなことはないのかもしれない。
すべての人が、子供の頃からやりたいこと、興味あることを優先的にやらせてもらえていれば、その積み重ねで、その人はその人にしかできないことを大人になる前に見つけることができ、違和感なく自分らしく生きられる方向に進んでいけるのかもしれない。
好きなように生きられる自由が、世界中のすべての子供に与えられ、その子供たちが大人になって作る社会はどんなだろう。
それは決して無秩序で混乱したものではなく、奇跡的にすべてにおいてバランスの取れた社会になるような気がします。
そうそう。そんなことは無理なのはわかっています。
でも、ちょっと想像してみるのも楽しいのです。
私の場合、好きなことをするためなら、生活レベルくらい喜んで落とせるので。
これからも、先の見えない不安に駆られたり、自分自身を見失いそうになったりしたら、どんなにくだらないことであっても、とりあえず目の前にある「好きなこと」「やりたいこと」に手を伸ばしてみようと思います。
すると、歩むべき道が少しずつ少しずつ照らされ、生きる力につながる安心感が湧いてくる感じがします。