電話といえば、私が子どもの頃は公衆電話ぐらいしかなく、家電の普及はまだ道半ばでした。そんな時代に、内線機能のある電電公社推奨のホームテレフォン、ロンロンという壁掛け型にも平置き型にも出来るインターフォン機能付のボタン電話はトレンドでした。
山本直純さん主宰の「オーケストラがやって来た」の番組で、盛んにCMされていたのがこのホームテレフォンだったと記憶しています。最初のオシャレ電話の憧れでした。
ボタン電話というものに触れたのは、小5の時。胸元と延髄皮下に大きなおできが出来、外科病院で手術を受けました。幸い悪性リンパ腫でなかったため、入院の必要はなく、日帰り手術で済みました。母に手術では付き添ってもらい、その後下校後にひとりで通院しました。
産科も併設した大病院だったから、外線を病室に回したり、ナースステーションと連絡を取ったりするため、内線転送設備は必須でした。受付窓口は1階にあり、富士通製の内線電話付ボタン電話がありました。縦長タイプのワームグレーのツートーンカラーボディの左側に受話器があり、真ん中にダイヤル、右側に内線ボタンが並んでいました。通院最終日は土曜日で、昼休み中のため、受付してもらうために、ナースステーションの看護婦さんをボタン電話で呼び出さなくてはなりませんでした。外科と産科がいっしょの病院って、あちこちに女性的な配慮があり、電話機もそんな気配りがあると感じました。そのボタン電話のボタンは透き通ったスケルトンタイプ長方形で真ん中が膨れたかまぼこ型。「これを押してください。」と、電話機本体にテープ止めでガイドが記されていました。表面に赤い印がマジックインキでつけられていました。これが2階ナースステーションへの内線でした。ボタン電話にふれるのは初体験だったから、とてもワクワクしました。好奇心旺盛ないたずら心が働き、まずは受話器を取らず、その赤いボタンを人差し指で思いっ切りギュ~ッと押してみました。ボタンホールの奥まできれいに凹み、柔らかでかわいらしい押し心地でした。表面の凸面が吸い付く感じで、ボディボードに指先をビッタリつけて暫くホールドしました。やがて、バッとリリースするとバネがパチンといい音を立てました。戻ると、親指といっしょに側面をパッと挟みました。ボディから呼び出し音が出ないことを知ると、こんどは受話器を耳にしっかり当ててみました。これが初めての挑戦でした。公衆電話ではコインを入れて通話が可能になるとツ〜という通話可能音がしますが、この時はしませんでした。ゆっくり半押しまでボタンを凹ますとピッという電子音が鳴りました。嬉しくなりハッとしてパチンと音をさせリリースし、親指と挟みながら応答を待ちました。おそらく、看護婦さんは、呼び出し音が短く、パイロットランプが短く点消灯したから、受話器を取り、こちらから「もしもし」と言うのを待っていたのかもしれません。受話器からスーッという透き通った通話可能音がしているのがわかりました。無言のまま、再び人差し指で思い切りボタンをギュ~ッとボタンホールいっばいまで凹ませてホールドしてみました。ピ〜〜〜と音が持続しました。快感に浸りながら、そのまま待つと、看護婦さんがウザがらず「もしもし。」と優しい声で応答してくれて安心しました。呼び出し音を鳴らし続けてもスーッという透き通った通話可能音がしているのがわかりました。だから、「〇〇です。受付お願いします。」と丁寧に応答すると、「わかりました。」と看護婦さんが明るく応答しました。さらにボタンをギュ~っと押しっぱなしにして、呼び出し音をピ〜〜と鳴らしながら「ボタン押しっぱなしでもお話できるんだね。面白い。」と受話器越しに微笑みながら話し込むと、「そうだよ。音がステキだよね。今行くから待っててね。」と優しい声で応答してくれました。看護婦さんが優しく耳に負担にならない力でカランと受話器を置く音が受話器から聞こえました。直後、スーッという透き通った通話可能音が切れました。私の方の受話器は取ったままボタンをプレスしていたから、電子音がピ〜〜と持続していました。すごくこの音がお気に入りになりました。ナースステーション側の子機も電子音が持続して、パイロットランプが点灯し続けていたかもしれません。暫く電子音を楽しみ、ボタンをリリースし、挟み、私も受話器を置きました。相手が受話器を置いてから自分が置くのが電話のエチケットだと父母に教わっていたから守りました。受話器のフックもホワイトのオシャレな形でした。ボタンをそのまま挟んで、看護婦さんが降りてくるのを待ちました。
看護婦さんが降りてくると、ボタンをいじっている私と触り心地の良さを笑顔で伝え合いました。保険証と診察券を出し受付してもらいました。ボタン電話を楽しむのは最初で最後となりました。
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