知人と会って、まあ、大半は、彼女の職場の愚痴を
聞かされる羽目になったのですが・・・
ちょっと面白いなぁ~・・・と思って。
というのは、彼女は今、障碍児教育に携わっているのですが、
その現場のやりとりがちょっと怖い・・・のです。
まあね、教育現場でも、介護現場でも、
正直なところ、やる気のある人はほんの一握りで、
あとは、仕方なくやっている人たち、
自分なりのルールでやっている人たちが大半だということは、
事実です。
しかし、このお世話をする仕事が、一歩間違えば、
虐待とか、そこまでいかなくとも、
高圧的になりやすいということは、ちょっと考えれば分かる事です。
しかし、現場の人たちは、お給料も安いし、
また本人の資質もあるし、しかもある意味、こういった職場は、人生の吹き溜まり、
行き場がなくなった人たちの受け皿といった面もありますので、
正直言うと、有象無象の集まりなのです。
専門性もへったくれもありません。
第一希望でやってきた、という人は少ない気がします。
そんな中でも、そこに生きがいを見出し、楽しく仕事をしている方々もいれば、
自分のやり方を延々と押し付ける方々もいます。
本当に、本人の資質、人間性が問われる職場なのです。
そこで、苦しむ人たちがいるのもまた事実。
お世話される側の立場になって考えれば、
その人たちの味方でありたいと思えば思うほど、
周りとのギャップに悩むことになります。
心優しい人であればあるほど、逆に辛くなってしまう職場であることも・・・。
私の知り合いは、そのことでとても悩んでおりました。
・・・しかし、私が注目したのは、そこではありません。
ちょっと自分の想像力を刺激されたというか・・・
まあある意味、言葉は悪いけど、収容所みたいだな・・・?と思ったのです。
この令和の世で、まだ収容所がある、ということ自体に、
驚きがあったのです。
これはどう切り取るといいのか?
どうとでもできることですが・・・
私なりの解答はあるのか?
もちろん、現場でやっている方々は、
大変だし、それなりにモチベーションをもって
情熱的にやっていらっしゃるのでしょうが・・・
第三者的からみると、やはり、収容所、という言葉が否めない気がしました。
それはどうすれば解決できるのか・・・?
なんてことを考えながら聞いていましたね。
だって、人は最後には、なんらかの障害を持つことになるのですから。
年を取るとね、みんな何かしらのハンディを持つことになるのですから。
そう思うと、自分は介護施設で働いていたので、
そのことはよく知っているつもりですが、
どうすればみんなが幸せになれるのか?
ということが、ちょっと壮大ですけれど、
自分のテーマでもあるのです。
これがうまく言葉になれば・・・
作品になれば・・・などと思ったりもしました。
☆それでは今日もよい一日を。