成果に逸って共闘や順当をパージした存在はそれなりに卑怯だ。
よそが堪えて忍耐した取り分の横取りがようやく成果に結実の種を渡したのにね。
結果出せばいい、みたいな「勝てば官軍」の透ける安普請さは戦後直後ならともかく、現代では「…ズルいよね、それ」って底が透けてる。
結果だしゃいーんだろ、ってのは男に多用されるロジックだけど、思いのほか女性陣に嫌われる覇権主義な腕づく感が、ただキショいって言われかねなかったりする。
見栄えがいいけど、評価したくなくなってくるんだよね。
「成果欲しさに裏切ったり、踏み台にしたよね?」で、なんで誇らしげにいられるんだよ、では、無為に思えてこない?
ウクライナの鉱物資源の大部分はロシア占領地にある トランプは何を考えている?
アメリカまさかロシアのウクライナからの強奪地からの収奪の片棒を「成果」などと歌い上げ「グレート」とか宣うのを、アメリカ人が喜ぶと思ってるんじゃないの?
利益を得たと。
引き換えだ、と。
世界はそれを見下げた強奪の片棒と見る。
そして「今後世界のどこもを、この泥棒根性で色目使い出す高慢ちきなクソ野郎」と見下げるだろうな。
アメリカのトランプにせよ日本の維新にせよ「成果出した」にゴールを標準する政治で「後のことは…」…なやり口なんだけど、これってウクライナやEU、日本で言えば国民民主のように「当事者でジクジク戦ってた側の意向が踏み躙られて、の話に立脚したものだ。
人ってさ「成果」で測りはするけれど、目安まででさ、その成り立ちや内助の功、水面下の立役者を失念せず、真価の方で勲功褒章が見定めたいんだよね。
成果は成果ですよ。
でも全てじゃない。