宮城の春夏秋冬

日々の事や私の趣味の事などを綴ります。
独り言なので異論もあるかとは存じますが宥恕賜りたく存じます。m(__)m

東日本大震災

2011年03月16日 | 雑感

写真:3月12日の新聞


写真:3月13日


写真:3月14日


写真:3月15日

3月11日14時46分 宮城県沖を震源とする未曾有の大地震発生。
新聞にはM8.8とあるが、その後M9.0と訂正発表。
県北での最大震度は7という強烈な揺れ。
当地(仙台)でも震度6を観測。

地震発生当時、私は仙台市南部(長町)の某大型商業施設にいました。
突如 大きな揺れが襲ってきたのです。
落ち着いて避難しようと思っていたのですが、目の前の太い柱がグラグラと左右に揺れているではありませんか。
これを目にした瞬間「これはヤバイ!」と言う事で、大慌てで外を目指したのです。
無論周りの方々も同様です。

まっすぐに歩けないほどでしたが必死に屋外に出て、店内を振り返った時に“ゾーッと”したのです。
今居た所の天井が落ちて店内がめちゃくちゃになっていたのです!
もしそこに居たとしたらただで済んだはずが有りません。
ほんの10~15秒の差ではなかったのではないでしょうか。

しかし、その間も立ってはいられない強烈な揺れが襲ってきます。
3分程の事だったのでしょうが、私には物凄く長い時間に感られました。

揺れがやや収まったのを感じ、すぐに車に飛び乗って家を目指したのです。
帰路、街を見るとそこここに壁が落ちていたり完全に崩れてしまった家などが有りました。
道路すら20センチ程の段差やひび割れなども有ったのです。
そんなことで通常帰るには1時間もかからぬ道のりを、全く信号が点いていない4号線を余震がひっきりなしに襲ってくる中を4・5時間もかけて帰ってきたのです。
我が家は仙台市北部の泉区に有るのですが、帰宅するまでの道中の風景を見ると家族の安否を気にせずにはいられませんでした。

やっと我がパークタウンに入って目に見える被害が少なくなっています。
基本的に山を削って造成された地区なので土地自身は堅固だったのが幸いしたようです。
過去の大地震でも周囲に比べてやや被害の発生が少なかったように感じられます。
何れにしても、やっと帰って家に入った時に我が家に避難してきた娘夫婦と妻の無事な顔を見てほっとしたのでした。



ライフラインはすべてダウンしたのですが幸運な事に飲料水・食料は一週間分程は有りましたし、調理もカセットコンロを利用したのです。
13日に成って水道が復旧したのでかなり気が楽になったのです。
しかし“寒い!”
と言う訳で陽が昇って起床し、陽が暮れて就寝とい超健康的な生活なのでした。

何とか15日になって電気も復旧するにあって、ほぼ生活面の不都合が解消されたのです。
ガスの復旧には最大あと1ヶ月以上が見込まれるとの事ですが何とか頑張れそうです。
と言うか、沿岸地区の方々に比べれば天国の様だと思うのです。
あちらでは家も失い避難所暮らしと言う方々が殆ど… いえ命が有るだけ見つけ物と言う方々ばかりなのです…。

何れにしても復興の為に早急に食料・燃料・ガソリンなどの流通が円滑になってくれるのを祈るばかりです。


最後に、ご心配を頂いた方々に心から御礼を申し上げます。
コメント
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