5日のフィールドワークには、3つのプログラムがありました。
①平和公園・碑めぐり
②原民喜とともに“夏の花”を歩く
③米軍岩国基地/綿帯橋 バスツアー
なぜわたしが②を選んだかというと、説明文に
「原民喜は原爆に遭ってのち、自分のためでなく他者のために生きようと自分に言い聞かせた。原爆犠牲者のために、言葉でヒロシマの真実を示そうとした。それを了えて彼は自裁した。…」
せっかく助かった命であるのに、なぜ原民喜は自分で命を絶ってしまったのか、、、そんな疑問がよぎり、原民喜のことを少し知りたいと感じたからなんです。
フィールドワークの集合場所に行くと、とても品のいい感じの年配者がみえ、紹介のときにその男性の方が原民喜氏の甥であるということがわかりました。
このプログラムに参加したひとたちは、大学のゼミ生と思われる生徒さんと先生、生活協同組合の関係でみえた女性の方々、市民活動をしてみえる方など、20名余りの方がみえました。
説明は、70歳は超えるであろうと思われる男性の年配者が主にお話をされ、ときどき原民喜の研究者である若い女性の方、そして甥の方がフォローして話す感じでした。
世界記念聖堂の近くには、原民喜の生家があり、そこで彼は被ばくをしました。
説明をしっかり聞きたかったんですが、如何せんにも声が聞き取りにくくて説明がよくわかりませんでした。
でも、川沿いの被ばく柳をみたり、昔の情景を思い浮かべながら歩いて、少しだけ雰囲気を味わうことができました。しかし、それは原民喜の幼少のころの楽しい思い出と同時に被ばく時の体験を知ることは、正直わたしにはとらえることが難しかったです。