先日のことですが、自殺してしまった清水由貴子さんの妹さんが
「介護うつ お姉ちゃん、なんで死んじゃったの?」
という本を出版され、その本の紹介記事が載っていました。
お母さんの立つ練習になるからということで手すりをつけることにケアマネさんから提案されたとき、お断りした由貴子さん。
そのあと、妹さんに手すりの提案のことについて尋ねたとき、「立つ練習は大事…」と妹さんが答えた時、
「みんなと同じことを言うんだ」
と由貴子さん。
彼女はお母さんに大変な想いをさせてまで立つ練習をさせる必要はないんじゃないか、と思ったかもしれませんが、
わたしの場合、悪い奴なんで、正直また介護の負担が大きくなると思うことの方が先に立ちます
手すりをつけて立つ練習をしたらいいというのでしょうが、その練習はいったい誰がつき合うのでしょう?
言うのは簡単、支えなければならないのは介護者なのです。
たとえばわたしの場合…
訪問看護師の方がみえて、すっごく助かっているわけですが、反面いつもどこか怯えているわけです。
看護師の方が悪いわけではまったくないことなのですが、便がちゃんと出ているか、口腔ケアはちゃんとできているか…そんなことを監視されているようなそんな錯覚に陥ってしまうのです。
要するに介護者としての評価をくだされているような気分になるのです。
だから、ついつい気張ってしまいがちになりそうになります。
そして、以前のことですが、由貴子さんと同じく提案を出されたときに、母にとってはよいこととはいえ、負担は確実に自分にかかってくると思えたとき、なんだか悲しい気持ちになりました。
誰も介護する側のことを真剣に考えてくれてはいないのではないか…と。
さすがにあのときは精神的になえましたね
顔で笑って心で泣いて…そんな感じで肉体的なものより精神的な負担は結構大きいものとなるのです。
介護を続けているとの繰り返しです。
それでも強くなる、いえ、慣れていくのかもしれません。
いまは以前よりディケアに送迎つきで週2回行ってくれたりしていることや、家族(子どもたち)のおかげで自分の時間を作ることができるので、少し気楽になりました。
体を動かして、リフレッシュできる時間はとても貴重です。
こうやって考えていると、家族に恵まれ、また3世帯同居のため経済的にも困窮はしていないので、わたしは本当にラッキーだと思うのです。
そう思うから余計に2人世帯でがんばって介護をしているひとをみると、どうにかできないかとつい思ってしまいます。
そう思っても何もできない…なんだか悔しいです。