5月28日(土)
その場に足を踏み入れた瞬間、不思議な空間が目の前に広がりました。
ずっと訪れたいと思っていた『橋の下音楽祭』。こんなに近いのになぜか都合があわず行くことができなかったんですが、昨年絶対行くと心に決めてこの日がやっときました
この橋の下音楽祭の『開催にあたって』を読み、また実際橋の下に訪れてみて、多くのひとの心意気で成り立っていることを感じることができました。
運営する側の大変さも半端ないだろうなと想像しながらも、その想いにふれて支えていく仲間たちの多さもすごいですし、自由な雰囲気の中であっても秩序が保たれ(工夫していると思うのですが)、不思議な空間を作り上げている橋の下音楽祭は、ある意味可能性を感じさせる希望の場ともいえるのかもしれないなと思いました。
朝10時過ぎ、友人と待ち合わせて電車で豊田市に向かいました。
翌日には市駅周辺を会場として豊田JAZZスクエアが控えているということで、まずは前夜祭としてペデストリアンデッキでのライブ開催(16時~20時30分)があるため、その準備をしていました。
コンテナバーもあるため、飲みながらジャズライブを聴くことができるようになっていました
ジャズライブは橋の下音楽祭の帰りにちょっと寄っていけるといいなということで、とにかく開催場所である豊田大橋へ向かいます。
サッカーの試合があるときは多くのサポーターがスタジアムを目指してこの橋を歩いていますが、今回は橋の下へ行くために…
階段を降りて橋の下に降りたつと、そこには混沌とした不思議な空間が出来上がっていました。
食べ物、飲み物以外に服や雑貨、アート等々、自前の建物やテントの中で様々なものが販売されているので見るのが面白い!
みんなからの投げ銭(カンパ)で成り立っている祭りなので、わたしも早速投げ銭(カンパ)してきました。
矢作座↓他のどれもこれもひとの手による力で出来上がっているものばかり。来年はどこか無理のない範囲でお手伝いか資材の寄付ができたらいいな。
ちょうど『志多ら』さんによる和太鼓演奏をやっていて、圧倒されていると、何やら横から…
太鼓の音が心臓に響いてくるし、なんだかワクワクしてくる!
そして、その演奏の隣でリズムを体で受けながら絵を描いているひとがいました。
橋の下には櫓も組まれていて、阿波踊りや、生の演奏と歌声にのって盆踊りに参加したり…見てるより、踊らにゃ損損
ライブ会場も本丸、下町、草原、カドヤ横丁といくつかあって、とりあえずこのミュージシャンだけは聴き逃さないようにしなければと事前にチェックしながら会場を探す状態。それがまた楽しかったりして。
絶対聴きたかったミーワムーラ!音合わせ中。
師匠と弟子といっていたこのコンビ。おししょうさ~ん♪と歌う声が耳に残り、一番聴きたかったのがラストの夕凪の坂道。
みわさん(娘をみるような目でちょっと見てしまいましたが…)の癒しの声に歌の詩や、師匠のギターアレンジの合わせ方がとても素敵だったりして。あ~やっぱりここを目指していってよかったです。
CDを早速購入してしまいましたよもし来年また橋の下でのライブがあるようなら、是非足を運びたいものです。
そういえば、あとから来た息子は、カンザスシティバンドにもすっかりはまってましたね。なかなか昭和っぽいブルースな感じで、面白いのか渋いのか、それともかっこいいのかわからない魅力的なバンドでした。
ほかにも森島貴男氏による奄美竪琴での貴重な音楽もなどもあり、とにかく様々なジャンルがあって、本当にすごすぎる!と思いながら、あちこちタイムテーブルに沿って回っていました。
本丸ではヒップホップ、THA BLUE HERB RECORDING。
食べ物も飲み物も珍しいものがたくさんあって、どれを飲もうかと迷うくらいでしたが、とりあえず一番最初は生ビールで乾杯をしました。
立ち飲み屋のカドヤ横丁は、きっと夜になったらさらに雰囲気がでるんでしょうね。ここの橋の下音楽祭の良いところは、子どもたちもなんといっても楽しめるところがあるということでしょうか。
驚かされっぱなしなんですが、なに?この遊具!とマジマジ見てしまうほど、子どもなら絶対遊びたくなるものがありました。
最初オブジェかなと思ったんですが、カラフルな布がぶら下がっていて、それがブランコのようになっていたりしていて、子どもたちがのびのびと動き回っていました。
ほかにも麹づくりや醤油しぼりのワークショップや講座みたいなのもありました。
気になるアートも。。。
橋の下音楽祭の電源ですが、パーソナルエナジーさんの厚意によってソーラーパネルでまかなっているとありましたが、出店者もそれぞれで自前の電源を用意したり、来場者もそれなりに準備をするといった感じになっていました。
私自身、音楽を聞いて食べて飲むだけ…、たったそれだけなのに、その場にいると普通のコンサートに行くお客さんの気分じゃなくて、どういっていいのかわからないけれども『祭』という舞台の一員みたいになって、そこの住人みたいな錯覚に陥ってしまうというのか
それに、何者にも縛られることなく自由に純粋にを楽しむことができるというのも、どこかその自由というものが自分さえよければという身勝手さがないせいかもしれません。それに自分と違う他を認めるという部分が大きいのかも。
友人が帰り際、今まで違う世界にいたみたいだったと言っていましたが、本当にそんな感じで過ごすことができた満足の1日でした。