「やるぞ~片付け」「捨ててもいいものは・・」
疲れる。
捨てる目的の片づけはとてもエネルギーがいること
が解った。
どんどん年をとり、ますますそのエネルギーはなくなるんだろうな
と思いながら捨てるものと残すものを区別した。
若い時に親しんだクラシックが残る。
それと、時間に余裕のない時代に夫が毎月私のために
The CD Clubに入っていて毎月、案内が来ると夫に来たよ~と差し出され
私が面倒くさそうにパンフレットをみて、時々注文したものだ。
その当時、レコードからCDに代わる走りだったと記憶している。
殆ど聴いていない。
選ぶ基準として、その音楽の評論重視とレコードで何度も聴いたもので
CDで聴いてみたいものだったと記憶している。
であるから、指揮者は殆ど生きてはいない。
今朝、スッキリしたCDラックから1枚を取り出した。
夫が買ってくれたものだ。開けてみると一度たりとも聴いた形跡は
ないが、カバーを外せるだけの興味はあったと見える。
トスカニーニ・ベスト・セレクションとある。
最初に「運命」なんだ運命か~だったが、若い時に何度も聴き比べた
ワルターやフルトベングラーの「運命」とはちょっと違っていた。
そのあとの「交響曲7番 イ長調」で唸った。
イタリア人の指揮者トスカニーニ・・いいな~だった。
次に「エグモント」暗いな~。
単純に私は交響曲は長調好きなのかもしれない。
disc 2枚目、「新世界」で息子の小さい頃のことを思いだして
シュンとなる。
隣町で新世界のコンサートがあるからと、4歳ぐらいの息子を連れて
聴きに行った。
それだけならいい思い出で終わる。
その時、息子は風邪を引いていたのか熱があった。
終始、私の膝の上に頭を載せて、曲が終わり、周りの拍手が聴こえると
起き上がって無邪気に拍手だけをしていた。
その時は笑える話だが数年も経つとなんで私は
そのようなことをしたのだろうと・・自虐的になる。
息子は、どこかへ出かけるというとよく熱を出す。
嬉しいのか緊張するのかそうだった。
そんなことも一緒に思い出してしまうこの「新世界」は、積極的に
聞きたい曲ではない。
私の子供は可哀想という思いになってしまうのである。
仕事に悔いは残さないが、私はできることなら、もっと子供たちと
たくさんの時間を笑い合って過ごしたかったと思うのである。
じわ~っとなるこの感情が嫌だ。
玄関でチャイムがなる。娘からの宅急便だった。
またじわ~っときてしまった。
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