迎えるところである。
中指に違和感を覚えながらも完治といっていいのではないか
と思う。ほぼ1年がかりということになる。
早めに骨折の怖さを知らされてよかったと捉えるのがポジティブ
な見方だろう。だいぶ注意を喚起されている。
先週末、夫と東京へ行き、1週間が過ぎた。
昨年、台湾旅行間近に骨折したために行けなかったことのすまなさを
遅まきながら感じて、映画、美術館、新幹線の料金は私がスポンサー。
お昼は上野でフレンチ、その後「エルグレコ展」を見た。
フェルメール作品が来日した時と違い、並ばずに入館できた。
フェルメールは女性同士が多かったが今回は、中学生のレポート
用紙を持って絵を勉強しているグループとか男性が目立ったように感じた。
エルグレコは、教科書にも載っているのだろうが、私が意識し始めた
のはスペインへ行き、プラド美術館での1枚からだ。
「なんて美しい手の表現だろう」が、第一印象、相変わらず変な見方である。
「胸に手を置く騎士の肖像」である。手の表情がなんとも言えなかった。
それとデフォルメされた細長い大きな画像の宗教画に出会ったところで
虜になった。
その中の手の表現も同じく美しい。そしてまたまたおかしなことを
感じる私である。
8月に生まれたMちゃんの手の表情に幾度となくそれが重なるのである。
まだ、混沌の中にいる嬰児の手は物を掴もうとも自分の手とも思っていない
。
その手の表情がとても美しいと感じる時がある。
雨の金曜日、夫は私の見るテンポに合わせてゆっくり見て回った。
一番は、3mをこすと言われる「無原罪の御宿り」だろうか。
そして、私の好みで「修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシーノの肖像」
の手?と黒い服と白い襟かな。
それとマリアの母アンナが描かれている「聖アンナのいる聖家族」のそれぞれの
手の表情がいい。
と、まあ私のエルグレコ展の感想はこんなもの・・。
もう一度見たい気もするが、トレドの美術館にもう一度行きたいなと思う。
まず無理のような気がする。
エル・グレコの住んだトレドは大変きれいなところである。世界遺産でもあるが
タホ川を挟み丘陵から旧市街を眺めたが素晴らしい景観だった。
タホ川に白い水鳥が遊ぶ様子は、中世から変わらないのだろうか?
エルグレコのトレドの絵にも描いてある。
大聖堂やサント・トメ教会やサンタクルス博物館でのエルグレコ作品に会いたい。
今回、数点そこから来ている。「聖衣剥奪」はトレド大聖堂から。
「無原罪の御宿り」はサンタクルス博物館から来日だ。
サント・トメ教会の「オルガス伯の埋葬」だけは現地に行かないと
絶対に見られないものである。
入口の右側だったかに取り外し不可能な状態で位置していたように記憶している。
それをトレドで見ることができただけでも幸せである。
私の旅行のきっかけは一枚の絵から始まったりする。
パリはマチスの一枚、ロシアのプーシキン美術館もマチスの1枚だった。
スペイン、プラド美術館はフラ・アンジェリコの「受胎告知」だ。
このあたりから宗教画に関心が出てきたのかもしれない。
そして私の中ではの新しい画家になったのが、ゴヤ、エル・グレコ、ムリーリョ
などである。
が、エル・グレコのありえない構図と手の魅力がまず一番だったのだと思う。
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事