「プレジデント」8月増刊号があった。
これも今、読んでみるとわかる。
震災後まもなく震災絡みの記事を求められ書いた人達の感性には驚く。
表紙は作家で三春、福聚寺住職の玄侑宗久であった。
私も娘も三春にある、そのお寺を訪ねたことがある。
芥川賞を受賞したり、経歴も経験も普通のお坊さんとは違った
道を歩み現在に至るよう運命づけられた方のようである。
小説ではかつて「アミターバー無量光明」をTさんから借りて読んだことがある。
お寺には、種類の異なるさくらが重なるように境内を見下ろす場所に咲いて
いる美しい春の福聚寺・・。
私はその桜を写真に収めてきたことがある。震災2年前ぐらいだろうか・・。
プレジデントのテーマは、仏教のチカラである。
「葬儀支援」山形・地福寺 宇野全匡住職
「供養を重ね、死を受け入れてゆかねば
、いずれ心に穴が空く」というルポも心に残る。
住職が重ねてこられた奥尻での震災経験や住職としての日々の仕事が
垣間見られる会話に心が疼いた。
石巻市をはじめとする津波で亡くなったご遺体を荼毘に伏すために
冬の奥羽山脈を超えて大石田までやってきたその時の話をされていた。
震災は多くのお寺までを流しさり、弔ってくれるところがない。
テレビでの切り取った情報の中に、そこまで気づく人はいただろうか。
宇野さんの心配は、急に家族を亡くした残されたものの心である。
大川小学校、全校生108人、うち68人が死亡、行方不明者6人という
その時点で、生き残った24人の苦しみ、仲間の死を受け入れて生きる
ということへの心配で紙面は割かれていた。
ルポライターの山川徹さんの力でもある。
続きに、元ワコール会長の塚本幸一氏の「生かされている」
の思いが綴られている。
よく本の中で使い古されている、「生かされている」の言葉が深い。
考えてみれば我々の命の誕生であっても選ばられた命であることから
のスタートである。
他の誰でもない自分だったのだから・・。
55名の部隊中、3人生き残りの一人として「生き残った苦悩」からの人生の
スタートが塚本幸一さんの場合である。
「生かされている」と実感できるのは、そこまで悩み苦しまないと実感できない
言葉であり、その実感を得た人間に怖いものはないと思う記事であった。
これから読もうとしているのは「種田山頭火」である。
津和野を訪ねたときに、お土産店で私が初めて知った俳人。
山頭火というリズムは聞いたことがあったが、俳人であることも坊さんであることも
知らなかった・・。無知ぶりである。
何?このポストカード!すごいが第一印象であった。
11歳の頃に衝撃的な母の死を目撃したことが、苦の始まり・・。
プレジデント増刊号は、命という根源を表現せざるを得ない記事で溢れかえっている。
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