「時々人生を考えるとき、自分って蟻だろうかキリギリスだろうか」と。
別の友が言う。
「私たちは蟻にもキリギリスにもなれない。」
母がボソッと「蟻は嫌われる・・」
「?」
寝苦しい夏、窓からの月の明かりで目が覚めてしまった。
満月でもない細々とした光なのに、私にはとても強い光に感じられた。
木星がひときわ光を放っている。
あの近くに私の星があるはず。
でもこの方それを確認した試しがない。
存在感のない星。
また、友の言葉が頭をかすめる。
知人の急な入院やら死に出会い、歩みを止めてしまったこの1週間。
コーヒー豆を挽き、自分だけのためにコーヒーを入れた。
それを持ち、ベランダで、月と木星とその辺りの星を眺めた。
もう東の空は白んできた。
太陽が追いかけてくる。
先日みた映画「プール」のシーンを思い出す。
小林聡美がギターを弾きながらプールのそばで歌った、「太陽」のうた。
あっという間に小鳥の声がし、早くも蝉の鳴き声が聞こえ始めた。
そして再びの問い。
私は、蟻だろうかキリギリスだろうか。
友のように蟻になりたいキリギリスでないことは確かだ。
基本的に自分は蟻だと思う。
常に不安を抱えている。
人生を意識した始まりは多分、祖母の死。
小学生だった私。
たった数年しか一緒に暮らさなかった父方の祖母との別れ。
そして母が死んだらと考え、布団の中で泣いた。
それが生きることを考えた始まりだった気がする。
そして父との早過ぎる別れは自分の人生の終着点を引くきっかけとなった。
父が死んだ52歳、そこに線を引いた。
そこを通過したとき、私はすでに第2の人生を生き初めていた。
「プール」のサイトを見たとき、加瀬亮が「いい加減な人間たちの集まりだ」と呟いた言葉が心に残る。
いい加減とは思わないが、何かから必死に逃げてきたんだろうなと思う。
求めるものを追いかけて行き着いたところがプールのほとり・・。
そういう人間たちは人の人生を批判したりしない、受け入れる何かを身につけている気がする。
今回、私も二人の友により受け入れられた。
蟻に助けられたのではない、キリギリスに助けられた気がしてならない。
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