風は東楡の木通りから

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僕の歩く道

2006-10-18 00:33:21 | 発達障害・アスペルガー症候群
フジテレビで火曜夜10時から放送している「僕の歩く道」というドラマを見た。
草剛が演じる自閉症の青年の話。今日で2回目。

私の長男は彼のようなタイプではないけれども、やはり、それなりの生きにくさは抱えている。今日は見ていて次男のことを考えさせられた。ドラマで主人公の母親は自閉症の子どもに常に心配していて、そのせいでその下にいる妹はほったらかし。母親は妹はしっかり者だから大丈夫とおもっているようだ。母親と一番上の兄が自閉症の2番目の兄のことで口論しているところを黙ってみている妹、常に彼に注意を向けている母の後ろでさびしそうな妹。その場面を見て考えさせられた。私も少なからず、こんな思いを次男はしていたのではないだろうかと思った。

まだアメリカにいた頃私とだんなの教育方針の違いや長男の就労についての見解の違いでケンカがたえなかった。あまり腹が立ったので真夜中に出て行って街中をドライブをした事を長男のセラピストに話したら、そんな状態の時に車の運転は危険、だんなの考えは社会の厳しさを知った上での事だろうと諭された。
そして最後にこう付け加えた。「あなたにはもうひとり大切なお子がいるのよ。」

長男の事ばかり一生懸命の私に次男の心のケアも大事なのだという事を思い起こさせていただいた。

長男の様子が他の子供とちょっと違うなと思ったのは幼稚園の頃。次男は生まれたばかり。次男が赤ちゃんの頃はそれなりの子育てだったように思う。だが、長男が学童期に入った頃はいろいろな発達障碍特有のいろいろな問題がでてきていた。長男には付きっ切りになって教える事があったし、次男は長男と比べておとなしく、長男がその頃出来なかった事をすんなりとできるのでこの子は大丈夫と思い込んでいたことがあった。今考えるとさびしかったのかなとも思う。しかも一番甘えたい盛りに甘える事も出来ず言葉がたくさん出てくるときに異文化の中に突然おかれたのだから今の次男の幼さや、年の割りにの甘えたがりの行動は幼い時に足りなかったものを補おうとしているかもしれない。


ドラマは自閉症の青年の就労の難しさも良くあらわしていると思う。得意なものがあっても周りに理解する人やうまくその能力を管理してくれる人がいないとその能力と就労は結びつかないという現実がある。なくし物や失敗する事に異常に敏感になり、時にパニックを起こす長男。

これから長男はすくなからず主人公のような思いをするのかなと思う一方で妹の存在を次男に重ねながらドラマの中で傷ついてなければいいな、これから変な事にならなければいいなと案じてしまうのだった。