その入り口はどこもかしこも真っ黒でまるで別世界への入り口かと・・・・。
これが今日行った小劇場「新生館スタジオ」(東京・板橋区中板橋)のファーストインプレッションである。
劇団は俳優であり演出家、ゴスペル音楽院で演劇の講師でもある西田先生ひきいるキリスト教伝道劇団。
前回のゴスペル音楽院の課題で演劇を勉強したばかりだった。チラシの裏を見たらなんと西田先生のお顔がのっているではないか!是非見に行きたいと思った。なぜなら西田先生の1人芝居「ダミアン神父の生涯」を見て、いたく感動したからである。
1人で見に行こうと思ったら思いがけなく次男が「いいなー。」というので礼拝後、次男と見に行く事になった。
今日上演されたのは三浦綾子作「塩狩峠」、井上ひさし作「父と暮らせば」の2本立てであった。
「父と暮らせば」は2人劇、とてもよかった。このレビューはいつかかきたい。
今回は塩狩峠だけ。
塩狩峠は北海道の宗谷本線、旭川と士別市の間あたりに位置している。
私の父は士別出身なのだが私は士別に一度もいったことがない。だから塩狩峠の位置も三浦綾子著の「塩狩峠」を読んで、父の故郷のそばにあった事を初めて知ったのだった。
明治42年2月28日、この塩狩峠の区間に差し掛かった汽車の客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかけたところ、当時鉄道院(国鉄の前身)職員でありキリスト教徒であった長野政雄さんが乗客の命を救うため自らの身体を列車に投げ客車の下敷きとなったという事故が起こった。
この実話を元に三浦綾子が執筆したのが小説「塩狩峠」だ。のちにこの作品は、松竹(監督:中村登、主演:中野誠也)で映画化もされている。
この物語を知っている方なら場面がたくさんある事はお分かりだろう。それに汽車が登場する。この場面設定をどうするのかとても興味があった。先日「赤毛のアン」のミュージカルで原作がいじられて1場面にいくつものエピソードをいれていたり、場面そのものが変えられていたりでとてもがっかりした事があったからだ。
劇が始まってびっくりした。なぜか。
舞台装飾も何もなく、ただパイプいすが6つ、俳優さんのぶんだけおいてあるのだ。さて、これからどんな風に始まるのだろう。もっとワクワクしていた。
舞台は朗読をとりいれておこなわれた。
なるほど、これだったら原作の良さはそのままである。俳優さんは台詞のところだけそれも何役もかけもちで演じる。
ところどころきれいな音楽が流れ、静かに劇は進行する。
主人公が友達と再会したとき妹の富士子に惹かれるシーン。
主人公の家庭の背景や上司の娘との縁談、生まれつき足がわるく結核で脊椎カリエスになってしまった富士子と生涯を共にしようと決心するところ。
主人公の誠実な人柄。
大のキリスト教嫌いだった主人公が路上での説教を聴いてキリストに倣いたいとおもうところ。
罪を犯した同僚のよき隣人になろうと決心し、実行するが同僚は悪口をはき、主人公を受け入れない。その同僚を憎んでしまう主人公。
同僚に対し、高慢であったこと、自分にも罪がある事がわかり悔い改めて信仰告白をする。
しかし同僚は彼を冷笑して偽善者とよぶ。
洗礼を受け、キリスト者になった主人公は神と人のために誠実に生きていく。
そして主人公は富士子との結納に向う途中この列車事故が起こってしまう。
物語はクライマックスである。私を含む観客達は舞台から目が話せない。
ナレーション、俳優、それぞれがものすごい熱演なのだ。何も舞台装飾がないのに汽車が見える。乗客が恐怖におののいているのがわかる。
そして・・・・・主人公は自分の身を線路に投げ出して暴走をくいとめる。
主人公の生き様を目のあたりにした、いつも彼を冷笑していた同僚はこのときから変わり始める。
富士子、友人、彼らの母、の嘆き、悲し身、そして終焉。
本を読んだ時も泣いてしまったが、それとはまた違った感動があって泣いてしまった。
隣を見ると次男がなんと次男が泣いているではないか!泣いているのがわからないように目をこすっている。だから気付かないふりをした。
今回の劇を見て改めて信仰に生きるという事を考えさせられた。
私の信仰はなんと生ぬるい信仰なのだろう。日常においての罪、もう一度悔い改めさせられた。
次男はこの劇を通して何を思ったのだろう。
初めは行かないといっていた次男が行きたいと言い出したのだ。神様のご計画があるのだろう。いつかきっと芽を出すはずだ。
このような機会が与えられた事、を主に感謝した。
私も亡くなった長野さんのように主の道をしっかりと歩けるように祈ろうと思う。
もしも、観たい人がいらしたら・・・・・・。
「塩狩峠」の上演予定
10月26日・・・1:30PM 新宿西教会アガペイン公演 無料
是非行ってみてね。!
これが今日行った小劇場「新生館スタジオ」(東京・板橋区中板橋)のファーストインプレッションである。
劇団は俳優であり演出家、ゴスペル音楽院で演劇の講師でもある西田先生ひきいるキリスト教伝道劇団。
前回のゴスペル音楽院の課題で演劇を勉強したばかりだった。チラシの裏を見たらなんと西田先生のお顔がのっているではないか!是非見に行きたいと思った。なぜなら西田先生の1人芝居「ダミアン神父の生涯」を見て、いたく感動したからである。
1人で見に行こうと思ったら思いがけなく次男が「いいなー。」というので礼拝後、次男と見に行く事になった。
今日上演されたのは三浦綾子作「塩狩峠」、井上ひさし作「父と暮らせば」の2本立てであった。
「父と暮らせば」は2人劇、とてもよかった。このレビューはいつかかきたい。
今回は塩狩峠だけ。
塩狩峠は北海道の宗谷本線、旭川と士別市の間あたりに位置している。
私の父は士別出身なのだが私は士別に一度もいったことがない。だから塩狩峠の位置も三浦綾子著の「塩狩峠」を読んで、父の故郷のそばにあった事を初めて知ったのだった。
明治42年2月28日、この塩狩峠の区間に差し掛かった汽車の客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかけたところ、当時鉄道院(国鉄の前身)職員でありキリスト教徒であった長野政雄さんが乗客の命を救うため自らの身体を列車に投げ客車の下敷きとなったという事故が起こった。
この実話を元に三浦綾子が執筆したのが小説「塩狩峠」だ。のちにこの作品は、松竹(監督:中村登、主演:中野誠也)で映画化もされている。
この物語を知っている方なら場面がたくさんある事はお分かりだろう。それに汽車が登場する。この場面設定をどうするのかとても興味があった。先日「赤毛のアン」のミュージカルで原作がいじられて1場面にいくつものエピソードをいれていたり、場面そのものが変えられていたりでとてもがっかりした事があったからだ。
劇が始まってびっくりした。なぜか。
舞台装飾も何もなく、ただパイプいすが6つ、俳優さんのぶんだけおいてあるのだ。さて、これからどんな風に始まるのだろう。もっとワクワクしていた。
舞台は朗読をとりいれておこなわれた。
なるほど、これだったら原作の良さはそのままである。俳優さんは台詞のところだけそれも何役もかけもちで演じる。
ところどころきれいな音楽が流れ、静かに劇は進行する。
主人公が友達と再会したとき妹の富士子に惹かれるシーン。
主人公の家庭の背景や上司の娘との縁談、生まれつき足がわるく結核で脊椎カリエスになってしまった富士子と生涯を共にしようと決心するところ。
主人公の誠実な人柄。
大のキリスト教嫌いだった主人公が路上での説教を聴いてキリストに倣いたいとおもうところ。
罪を犯した同僚のよき隣人になろうと決心し、実行するが同僚は悪口をはき、主人公を受け入れない。その同僚を憎んでしまう主人公。
同僚に対し、高慢であったこと、自分にも罪がある事がわかり悔い改めて信仰告白をする。
しかし同僚は彼を冷笑して偽善者とよぶ。
洗礼を受け、キリスト者になった主人公は神と人のために誠実に生きていく。
そして主人公は富士子との結納に向う途中この列車事故が起こってしまう。
物語はクライマックスである。私を含む観客達は舞台から目が話せない。
ナレーション、俳優、それぞれがものすごい熱演なのだ。何も舞台装飾がないのに汽車が見える。乗客が恐怖におののいているのがわかる。
そして・・・・・主人公は自分の身を線路に投げ出して暴走をくいとめる。
主人公の生き様を目のあたりにした、いつも彼を冷笑していた同僚はこのときから変わり始める。
富士子、友人、彼らの母、の嘆き、悲し身、そして終焉。
本を読んだ時も泣いてしまったが、それとはまた違った感動があって泣いてしまった。
隣を見ると次男がなんと次男が泣いているではないか!泣いているのがわからないように目をこすっている。だから気付かないふりをした。
今回の劇を見て改めて信仰に生きるという事を考えさせられた。
私の信仰はなんと生ぬるい信仰なのだろう。日常においての罪、もう一度悔い改めさせられた。
次男はこの劇を通して何を思ったのだろう。
初めは行かないといっていた次男が行きたいと言い出したのだ。神様のご計画があるのだろう。いつかきっと芽を出すはずだ。
このような機会が与えられた事、を主に感謝した。
私も亡くなった長野さんのように主の道をしっかりと歩けるように祈ろうと思う。
もしも、観たい人がいらしたら・・・・・・。
「塩狩峠」の上演予定
10月26日・・・1:30PM 新宿西教会アガペイン公演 無料
是非行ってみてね。!