風は東楡の木通りから

クリスチャンフルート吹きパスピエの愛する音楽、猫たち、薔薇の毎日

駐在員妻達のもちケーキ

2006-01-07 11:09:30 | 料理
明日は礼拝。
私たちの教会では礼拝後にお茶とお菓子を食べながら交わりの時がある。
久しぶりに「もちケーキ」でも作って持っていこうかな。

さて、もちケーキとは何じゃ?という人のために。

これははじめて「もちケーキ」をいただいた時の私の印象。

見た目・・・おお、うまそうなチーズケーキ!
食べた瞬間・・!!!???なんじゃこりゃ?
食感・・・・歯ごたえのある「ういろう」。
味・・・・・あずきミルクで和風な懐かしい味。結構いけるかも。


駐在員の家族としてアメリカに滞在していた時、駐在員妻たちの間でよく作られていたケーキだった。ウエルカムパーティなどで1品持ち寄りした時必ずお目見えする。いたずら心からか、日本恋しさからか、小麦粉の代わりに餅粉を使うなんてすごい画期的だ。見た目はチーズケーキみたいなので初めて食べた人はみんな同じ反応「なんじゃこりゃ」なんだよね。

日本に帰ってきてから作る機会がなかったな。だから教会の人たちもこのケーキを知らない。一口食べた時の「ん?」という顔が楽しみだ!

星の降る日に生まれた子

2006-01-04 08:18:26 | 発達障害・アスペルガー症候群
1月4日は長男の誕生日だ。今年で16歳になる。最近はティーンエイジャーらしくだいぶ生意気を言うようになったが、全体的には穏やかで素直な子にそだってくれた。

また、この日はしぶんぎ流星群(りゅう座流星群)が極大になる日でもある。3大流星群のひとつで3日から5日にかけてピークになる。

文字通り、星が降るこの日に誕生した愛すべき長男だが、彼には広汎性発達障害がある。

この障害は自閉症連続体の高機能自閉症、アスペルガー症候群などの総称で彼の場合、主訴になるのはアスペルガー症候群であり、注意欠陥多動障害、学習障害も併せ持っている。

ではどんな障害なのか。詳しく知りたい人は日本自閉症協会東京支部の「アスペルガー症候群を知っていますか?」をご覧あれ。http://www.autism.jp/l-00.htm

一般に言われるアスペの特徴と彼の特徴をあわせるとこうだ。中には成長とともに幾分かマイルドになっている箇所もある。

人と交わる方法や相手の考えや気持ちを理解することが困難。
しばしば自然な会話が困難。(興味のあることを一方的に話してしまう。)
特別に興味のある分野に強い執着もち、専門的な知識がある。
不器用。
騒がしい場所がきらい。
予定外のことが起こるとパニックをおこす。
2つ以上の指示がはいらない。
不注意。
正直すぎる。思ったことを考えないでそのまま言ってしまう。
落ち着きがなく衝動的。

こういう特徴から「変わっている」といわれ、学童期の集団行動を基本とするようなところではしばしば周りに合わせる事ができず対人関係のトラブルが発生した。
知能的な問題がなく、また、言葉での障害がない彼を見ているとそれだけ障害という言葉が当てはまらない、だから「自分勝手、わがまま、トラブルメーカー」等の相当な誤解を生じ、いじめの対象ともなる。

自閉症連続体のひとつだが自閉的ではない自閉症といったほうがわりやすいかもしれない。そして、アスペは軽度の障害と思われがちだ。しかし本人は持てる知識とできないこととのギャップに苦しみ、周りとのギャップ、先の見えない将来への不安と常に戦っているのだ。本人にとってはかなりのつらいことでけして軽い障害というものではない。

また親のしつけがなっていない、愛情が足りていないというご意見もあった。情けないことだが私は自分のプライドもあってトラブルがあるたび怒りをぶつけ言葉で我が子を傷つける最低な母親であった。愛したいのに愛せない、自己嫌悪、罪悪感、すべて手探り状態、そんな混沌のなかで聖書のこの御言葉を知った。

「私の目にはあなたは高価で尊い。」(旧約聖書イザヤ書43章4節)
神様にとって1人1人が特別であり高価で大切な存在なのだ。

また、ヨハネの福音書9章1~3節ではこういっている。

イエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問していった。

「先生。彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」

イエスは答えられた。

「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」

障害を持った人をかわいそうと思ったり、不幸な星の下に生まれたといったり、因果応報に結び付けたがったりするが、聖書はそれをまったく否定している。

そしてこうもいっている。

「神は知恵あるものを辱めるために、この世の愚かな者を選び、強いものを辱めるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世のとるになりない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、あるものをないもののようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは神の御前で誰をも誇らせないためです。」(新約聖書Iコリント人への手紙1章27~29節)

神様を知ってからまったくこの世の価値観が変わってしまった。
神に選ばれた人といったら「きれい事を言うな」と言う方がいるかもしれない。
だが、事実、この子がいなかったら発達障害の子の持つ素直さ、正義感、おもいのほかに豊かなその世界を知ることはなかった。

お互いの違いを理解しあうということをこの子を通して学んだのだ。長男のような発達障害を持つ子供達にはこの世の価値観を打ち崩す、特別なミッションがあるのではないだろうか。


困難を抱えて生きているがそれは不幸なことではないと思う。かわいそうといったらそれはこの世の中でマイノリティとしてに一生懸命生きている彼に対して失礼だ。神様の御手の中で彼らしく生きる道を見つけ出せるようにと私はいつも祈っている。

美しい星も、壮大な宇宙、そして長男も神のすばらしい作品のひとつだ。そして障害も彼の個性のひとつなのだ。いつかアメリカ人の友人がこういってくれたことがある。「彼は strange ではなくて special なんだよ。」- 高価で尊い特別な存在。
16年を振り返りながら、16年前に長男をこの世に生み出そうとしていた時間帯の夜空を眺めながら、ふと、そんなことを思った。
(残念ながら、シーイングが悪くて流れ星はみられなかったよ・・。)

あけましておめでとうございます

2006-01-02 23:38:34 | Weblog
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
みんなどんなお正月を過ごしているのかな。

どこから書き始めようか?ここ数日間感謝したことなど。

大晦日・・・主人と2人でK市まで買い物に行く。Mデパートで主人がトイレに行っている間私は近くで待っていたのだが、近くの売り場にかわいらしい小物がおいてあったので思わずその場を離れてしまった。ふと見ると主人が私を探している姿が見えた。その困った様子に「なんでそんな顔してるの?」と聞くと私がどこかに失踪したのではないかと思ったという。

そんな大げさなと思ったのだが、主人は私がとても不安定だった時を知っている。いまはすっかりよくなったが、昨年の夏ごろから精神的にも、身体的にも不安定だった。ちょうどそんな時大学の時の友達から飲み会のお誘いがあったらしいのだがわたしがそんな具合だったので断ったのだという事をつい最近知った。

今でもそんな心配をしてくれるのかと思ったらなんだか急に主人が気の毒になったが、そういう主人がうれしく、ありがたく思った。


元旦・・・元旦礼拝に行く。元旦から教会で家族そろって礼拝がささげられるなんて本当に恵みだと思う。その後、私の実家で新年を祝う。家に帰ってから、肩が気持ち悪くなるくらいこり固まっている。すると長男が何も言わず肩をもんでくれる。そこら辺で横になっていると今度は次男が毛布をかけてくれる。いつも私に怒られてばかりなのにいい息子達だなぁーと思う。


2日・・・久しぶりに映画を見に行く。実は私、映画館が恐怖の館だ。というのも私にはパニック障害がある。

壁に囲まれた空間や逃げられない状況では発作が起こる。その発作とは動悸が激しくなり、窒息して死んでしまうのではないかと思うほど息苦しく、頭のてっぺんからすべての血が下に下りてくる感じがする。もうこうなったら、体が動かなくなりぐったりしてしまう。この間10分くらいでピークにたっする。今まで発作の起きた場所は、レストラン、電車の中、医療機関、一番ひどかったのが映画館でのことだった。

だから映画館は避けていたのだ。しかしこのところ薬なしでも日常生活がおくれているのと、映画くらい家族で見たいという要望にこたえて行くことにしたのである。

やはり、映画館は怖い。一度発作を起こしたところでは、またなるのではないかという恐怖感が伴う。映画の予告編などのコマーシャルが流れている間にもう息苦しさを感じてしまった。あまり薬は使いたくないが発作がおきてからではおそいので発作が心配される時の薬を飲んだ。そのせいか映画上映中はリラックスでき、発作はおきなかった。良かった・・・。発作はその次の発作につながっていくのでここで発作がおきないことは私にとって重要なことなのだ。。

その代わり、薬は強いので映画が終わって帰りにはふらふら状態。家に帰ったら爆睡。

当たり前だと思っていたことがうまくいかなくなってはじめて与えられた恵みだと気づく時がある。神様、感謝します。