(詞=林古渓、1875-1947)
[あした浜辺を 彷徨へば
昔のことぞ 忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も
ゆふべ浜辺を 廻れば
昔の人ぞ 忍ばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星の影も
疾風たちまち 波を吹き
赤裳の裾ぞ 濡れ漬ぢし(濡れも漬ぢ)
病みし我は すでに癒えて
浜辺の真砂 愛子(砂子)今は]
この「浜辺」が辻堂の海岸だというのは不確からしい。が、
大船でないもまた確かである。ときに、
"3番"の歌詞は、元は"3番の前半"と"4番の後半"を
編集者が誤ってくっつけてしまったが、
古渓も手稿をなくしてしまってて思い出せなかった、
という事情があるようである。
この詞に、若き日の成田為三が曲をつけた。
同人はチャイコフスキーが死んで約1箇月後に生まれた。同じく
秋田出身の東海林太郎とは知り合いだったようである。
[6/8拍子、4♭(変イ長調)]
****♪ソー│ソーーー<ド<レ・<ミーーー>レ>ド│
<レーーー>ラー・<ドーーー、>シ>ラ│
>ソーーー<ドー・<ミーーー>レ>ド│
<レーーーーー・ーー●●>ソー│
ソーーー<ド<レ・<ミーーー>レ>ド│
<レーーー>ラー・<ドーーー、>シ>ラ│
>ソーーー<ミー・>ソーーー<レー│
>ドーーーーー・ーー●●<ソー│
ソーーー>レー・<ソーーー>♯レー│
ソーーーーー・>ミーーー、<ラー│
ラーーー>ファー・>ドーーー<レー│
ソーーーー・ーー●●>ソー│
ソーーー<ド<レ・<ミーーー>レ>ド│
<レーーー>ラー・<ドーーー、>シ>ラ│
>ソーーー<ミー・>ソーーー<レー│
>ドーーーーー・ーー●●♪
師匠山田耕筰の芸風に倣ったか、
ヨーハン・シュトラオス2世のヴァルツァー"Ku(ウムラオト)nstlerleben"
(キュンスターレーベン=いわゆる「芸術家の生活」)の
第1ヴァルツァーの後半[3/4、1♯(ト長調)]、
***♪ミ<ファ│ソーーー<ド<レ│<ミーーー>レ>ド│
<レーーー>ド>シ│<ドーーード>ラ│
>レーーー<ド>ラ│>レーーー<シ>ラ│
>ドーーー<シ>ラ│>ドー●●♪
に似た、じつに単純な節、和声である。
これだけなら、"偶然"などと言うむきもあるが、
これに続く第2ヴァルツァー(ハ長調)が、
***♪ソーソーソー│ソー>レーーー│<ソーソーソー│ソー<ラーーー♪
なのである。「浜辺の歌」の"サビ"である
[ソ>レ]という音の運びが同じである。しかしながら、
小鳩くるみ嬢(現在はマザー・グース研究家の鷲津名都江女史)の
レコードで育った私が、ガキの頃、毎日聴いてた歌である。
長じてからは倍賞千恵子女史が歌ったものが好きだった。
ちなみに、
同女史は10年ほど前の60歳頃に乳癌になったらしい。
同女史の身長は159cmであるが、
同年代の日本人女性の平均身長は150cmである。
159cmは平成時代の日本人女性の平均的な身長である。
倍賞女史は同年代の平均よりかなり高いといえる。
ところで、
成田為三の「為」という字は「爲」の略字である。
「爲」は上が「爪(=手)」で下が「象」である。
「象を手なずけること」を表すのだそうである。
「象を手なずける」→「その行為によって客体の性質を変える」
→「物事を為す」「何かの目的」
と意義が転化したのである。ともあれ、
為ゾウとはゾウとゾウとの語呂合わせではない、
とは思われる。いずれにせよ、
名字がタで終わってるのに名前の頭もタと附けるセンスは、
私には解らない。それはどうでも、
成田為三はこの曲を恋する同窓生の女性に捧げる目的で
作ったという。自筆譜に、
「いとしの正子にささぐ」
と記したらしい。その思いは叶わなかった。
[浜辺の真砂 正子今は]
である。が、
この一発で今もその名を残せたのである。
恋愛の情から生まれた曲もその相手のためではなく、結局は
自分のためになったのである。
[あした浜辺を 彷徨へば
昔のことぞ 忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も
ゆふべ浜辺を 廻れば
昔の人ぞ 忍ばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星の影も
疾風たちまち 波を吹き
赤裳の裾ぞ 濡れ漬ぢし(濡れも漬ぢ)
病みし我は すでに癒えて
浜辺の真砂 愛子(砂子)今は]
この「浜辺」が辻堂の海岸だというのは不確からしい。が、
大船でないもまた確かである。ときに、
"3番"の歌詞は、元は"3番の前半"と"4番の後半"を
編集者が誤ってくっつけてしまったが、
古渓も手稿をなくしてしまってて思い出せなかった、
という事情があるようである。
この詞に、若き日の成田為三が曲をつけた。
同人はチャイコフスキーが死んで約1箇月後に生まれた。同じく
秋田出身の東海林太郎とは知り合いだったようである。
[6/8拍子、4♭(変イ長調)]
****♪ソー│ソーーー<ド<レ・<ミーーー>レ>ド│
<レーーー>ラー・<ドーーー、>シ>ラ│
>ソーーー<ドー・<ミーーー>レ>ド│
<レーーーーー・ーー●●>ソー│
ソーーー<ド<レ・<ミーーー>レ>ド│
<レーーー>ラー・<ドーーー、>シ>ラ│
>ソーーー<ミー・>ソーーー<レー│
>ドーーーーー・ーー●●<ソー│
ソーーー>レー・<ソーーー>♯レー│
ソーーーーー・>ミーーー、<ラー│
ラーーー>ファー・>ドーーー<レー│
ソーーーー・ーー●●>ソー│
ソーーー<ド<レ・<ミーーー>レ>ド│
<レーーー>ラー・<ドーーー、>シ>ラ│
>ソーーー<ミー・>ソーーー<レー│
>ドーーーーー・ーー●●♪
師匠山田耕筰の芸風に倣ったか、
ヨーハン・シュトラオス2世のヴァルツァー"Ku(ウムラオト)nstlerleben"
(キュンスターレーベン=いわゆる「芸術家の生活」)の
第1ヴァルツァーの後半[3/4、1♯(ト長調)]、
***♪ミ<ファ│ソーーー<ド<レ│<ミーーー>レ>ド│
<レーーー>ド>シ│<ドーーード>ラ│
>レーーー<ド>ラ│>レーーー<シ>ラ│
>ドーーー<シ>ラ│>ドー●●♪
に似た、じつに単純な節、和声である。
これだけなら、"偶然"などと言うむきもあるが、
これに続く第2ヴァルツァー(ハ長調)が、
***♪ソーソーソー│ソー>レーーー│<ソーソーソー│ソー<ラーーー♪
なのである。「浜辺の歌」の"サビ"である
[ソ>レ]という音の運びが同じである。しかしながら、
小鳩くるみ嬢(現在はマザー・グース研究家の鷲津名都江女史)の
レコードで育った私が、ガキの頃、毎日聴いてた歌である。
長じてからは倍賞千恵子女史が歌ったものが好きだった。
ちなみに、
同女史は10年ほど前の60歳頃に乳癌になったらしい。
同女史の身長は159cmであるが、
同年代の日本人女性の平均身長は150cmである。
159cmは平成時代の日本人女性の平均的な身長である。
倍賞女史は同年代の平均よりかなり高いといえる。
ところで、
成田為三の「為」という字は「爲」の略字である。
「爲」は上が「爪(=手)」で下が「象」である。
「象を手なずけること」を表すのだそうである。
「象を手なずける」→「その行為によって客体の性質を変える」
→「物事を為す」「何かの目的」
と意義が転化したのである。ともあれ、
為ゾウとはゾウとゾウとの語呂合わせではない、
とは思われる。いずれにせよ、
名字がタで終わってるのに名前の頭もタと附けるセンスは、
私には解らない。それはどうでも、
成田為三はこの曲を恋する同窓生の女性に捧げる目的で
作ったという。自筆譜に、
「いとしの正子にささぐ」
と記したらしい。その思いは叶わなかった。
[浜辺の真砂 正子今は]
である。が、
この一発で今もその名を残せたのである。
恋愛の情から生まれた曲もその相手のためではなく、結局は
自分のためになったのである。