チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「右大臣実朝の首/割れて砕けて裂けて散るかも」

2010年08月04日 01時20分54秒 | ヘェ?ソウ?でチャオ和歌す
若かった時分、小金持ちの家の倅の私には、
とてつもない大金持ちの遊び仲間が何人かいた。
彼らはいずれも葉山のアリーナに父親がヨット(クルーザー)を碇泊させてた。
天気のいい日曜に招かれてクルーズィングに同行した。
ずいぶんいいとこのお嬢さんなんかも来てた。私のような
せいぜい小金持ち程度の倅とは育ちがまったく違う。それはともかく、
おぼっちゃんたちは、そのほとんどがビール党だった。
クルーズィング以外のときも酒はビールだった。そして、
量は飲まず、食べるのである。つまり、
あくまでもアペリティフとして低アルコールのビールを飲むのである。
深酒はけっしてしないし、毎日は飲まない。
食道癌の原因は一概には特定できないが、
毎日飲むようなのんべえに多い、と経験的に気づくはずである。

サザンオールスターズの桑田佳祐が食道癌で闘病休暇に入ったという。
おそらく、かなりな酒好きである。知らないけど。
シューベルトの「菩提樹」の冒頭と聞き違えてしまいそうな
「鎌倉物語」の歌詞の中に「日影茶屋」という菓子屋が出てくる。が、
なにも涅槃で沖雅也が待ってるわけではない。
この店に隣接する小高い丘が、
「鐙摺山(あぶすりやま)」「旗立山(はたたてやま)」
とか呼ばれてる山である。それらの名の由来は、
面倒なので省略するが、ここには
頼朝の挙兵にハナから荷担した三浦氏の城があった。そして、
頼朝の暗殺を謀ったこともあった伊東祐親が自刃した地でもある。
鎌倉およびその周辺は暗い悲惨な歴史に彩られた土地である。

……荒磯に浪のよるを見てよめる……
「大海の、磯もとどろに、寄する波。われて砕けて、さけて散るかも」
頼朝の次男、鎌倉幕府第3代将軍源実朝の歌である。
和歌を一首、二首でなく、一句、二句などと数えてしまうような無知で、
秋本祐希女史と古村比呂女史の顔をときどき見間違える程度の拙脳で、
どこかに載ってる現代語訳を適当に根拠のない妄想で塗り替える才もなく、
一語一語を古語辞典にあたって自分で逐語訳するしか能がない、
作詞家でもない屋台の煎餅焼きの私が解釈などするのは口幅ったく、
身の程知らずな行為なので、拙い大意を添えるに留める。
(拙大意)相模の海の波打ち際も天に轟くほどの音で寄せてくる波なことだなあ。
    それがなんと、割れて砕けて裂けて散ることだなあ。
強烈に惹かれる歌である。

佐佐木信綱によれば、実朝は、
右大臣拝賀の式の直後、甥の公暁に討ち取られ、
首なし遺体が鶴岡八幡宮に横たわることになる1年半前の
建保5年(概ね西暦1217年)に、
「鐙摺山(旗立山)城」で月見をしたときに詠んだのだという。
鎌倉とその周辺の海岸は思いの外、波が荒い。だからこそ、
サーフィンなんてできるのだろうが……。ときに、
この歌は「本歌取り」の歌である。定家にもらった
「万葉集」の写本を実朝は大事にして猛勉強したのだろう。

「万葉集」巻07-1201
「大海之 水底豊三 立浪之 将依思有 礒之清左」
(おほうみの みなそことよみ たつなみの よらむとおもへる いそのさやけさ)
「万葉集」巻07-1239
「大海之 礒本由須理 立波之 将依念有 濱之浄奚久」
(おほうみの いそもとゆすり たつなみの よらむとおもへる はまのきよけく)
「万葉集」巻12-2894
「従聞 物乎念者 我匈者 破而摧而 鋒心無」
(ききしより ものをおもへば あがむねは われてくだけて とごころもなし)
「万葉集」巻04-0600(笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首の一)
「伊勢海之 礒毛動尓 因流浪 恐人尓 戀渡鴨」
(いせのうみの いそもとどろに よするなみ かしこきひとに こひわたるかも)

「本歌取り」はただの「言葉いただき」ではない。センスが肝腎である。
これらの本歌をふまえて、実朝は我が身の境遇を歌にぶつけた。
自らの「金槐(和歌)集」はもちろん、定家によって、
百人一首・秀歌にも撰られ、
勅撰(和歌)集にも92首が採られたほどの技量だった。が、
自身の首は一首だった。

実朝の首は公暁によって持ち去られた。が、
公暁も殺され、その後、どうなったかは実際のところ、わかってない。どころか、
首なし遺体のほうもどこに埋葬されたか、「吾妻鏡」の記述は裏付けがなく、
信憑性がない。つまり、どちらも「不明」というのが実情である。とはいえ、
遺体などしょせんただの
H、O、C、N、P、S、Na、Ca、K、Cl、Mg、Fe、Zn、Cu、F、I、Se、Si、B、As、Mn、Mo、Co、Cr、V、Ni、Cd、Sn、Pb
の29種の元素にすぎないのである。これらの元素も不変ではない。
美女もキモオヤジも、ただのクォークなのである。
現世では大きな差異があるだけである。
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