チャイコフスキー テンポ 速度標語 メトロノーム
[Tchaikovsky's Italian Tempo Markings and Metronome markings]
体育の日の未明に七代目中村芝翫が肝臓癌による肝不全で死んだ。
それほど頻繁ではないにしろ私は若い頃から歌舞伎を観てきたが、
観る公演観る公演、必ずといっていいほど毎回出てくるのが
芝翫だった。あの面長な顔がすぐに判る。舞台の外では、
歯間から穏やかな笑いが流れてくるような気品ある人だった。昨年、
内藤多仲の歌舞伎座が取り壊される直前にNHKハイヴィジョンで放送された
「中村芝翫・歌舞伎ひとすじ八十年」
の中で、新装成る歌舞伎座を楽しみにしてたが、叶わなかった。
83歳だからしかたがないといえばしかたがない。
本人には告知されてなかったそうだが、気づいてたらしい。
芝翫はかなりな競馬好きだったという。死の2日前の
土曜の東京競馬第9競走「多摩川特別」で、
3連単[06-11-10]の1875.5倍を的中させたという。その翌日、
つまり死の前日にはそうして18万円にしたものをもとに
80万円にまでしたそうである。ともあれ、
その死の日に南部杯を勝ったのは、
「超越」を意味する馬名のトランセンド号だった。
震災で通常の開催ができない年のダート1600mのG1、Jpn1を
総なめにする役を担った馬の名にふさわしい。ちなみに、
「'64」年の東京五輪の開催日が起源である「体育の日」の
本来の日に行われた競走は、枠連「6-4」に結実した。
いっぽう、
同日の夜、やはり癌で疲弊した体をおして小澤征爾が指揮台に立つ姿を
NHK綜合で放送してた。腕が思うように動かずに間がズレてしまうことを
さかんに歯痒がってた。
私が経験的に知るかぎりでは、チャイコフスキーはテンポに関して
生涯一貫した基準があった。かつ、他の作曲家たちに見られるような、
同一速度標語に対するメトロノームの数字が大きく違ってる、
などということもない。1880年代後半以降の
チャイコフスキーの(四分音符を1拍とする2拍子と4拍子の)作品の用例から、
中学の数学に出てくる「数直線」のようにして
速度標語とメトロノーム指示の関係を表すと、
[(遅い)マイナス]←--アダージョ(54乃至60)--アダージョ・モッソ(60)
--アダージョ(・マ)・ノン・タント(60乃至63)
--アンダーンテ・マエストーゾ(69)--アンダーンテ(69乃至76)
--アンダーンテ・コン・モート(72)--アンダーンテ・モッソ(80)
--アンダンティーノ(76乃至88)
--モデラート・アッサイ(72乃至92)--モデラート(92乃至96)--モデラート・モッソ(100)
--│0│*
--アッレーグロ・ノン・トロッポ(116乃至126)--アッレーグロ・モデラート(126)
--アッレーグロ・ジュスト(138)--アッレーグロ・アジタート/アッレーグロ・コン・スピーリト(138乃至144)
--アッレーグロ・ヴィーヴォ/アッレーグロ・ヴィヴァーチェ(144)--アッレーグロ・モルトヴィヴァーチェ(152)
--ヴィヴァーチェ・アッサイ/プレスト(168)→[プラス(速い)]
[Slowly(-)]←--Adagio(54-60)--Adagio mosso(60)
--Adagio (ma) non tanto(60-63)
--Andante maestoso(69)--Andante(69-76)
--Andante con moto(72)--Andante mosso(80)
--Andantino(76-88)
--Moderato assai(72-92)--Moderato(92-96)--Moderato mosso(100)
--│0│*
--Allegro non troppo(116-126)--Allegro moderato(126)
--Allegro giusto(138)--Allegro agitato/Allegro con spirito(138-144)
--Allegro vivo/Allegro vivace(144)--Allegro molto vivace(152)
--Vivace assai/Presto(168)→[(+)fast]
(*│0│より左では速度標語の副詞は遅い方向に向いて(負の向き、左向き)て、
│0│より右ではその反対である。たとえば、
「モデラート・アッサイ」は「モデラート」より遅い。つまり、
「モデラート」は負の方向性の意味合いを持つ速度標語である)
というようになる。よって、
中期までの速度標語のみでメトロノーム指示がない作品のテンポも、
ほぼ適正に類推できるのである。ところが、
チャイコフスキーの作品に限らず、
<<もともとのイタリア語"allegro"の意味は英語で"lively"、
「快活に」「生き生きと」「陽気に」です。だから、
"fast"「速く」と解釈するのは間違っているのですね>>
のようなことを言う「アレグロ原理主義者」のような半可通がよくいる。
原義が"生き生きと"であって"速く"ではないのだから、
"Allegro"と書かれてても"速くしてはいけない"とまで言うのもいる。
それに輪を掛けて、そんなのに洗脳されてしまう向きには、
音楽のドシロウトだけでなく音大出のいわば専門家さえけっこういる。
そんな連中がフルトヴェングラーだのチェリビダッケだの、
エセ音楽家を崇め信奉するのである。
こんな愚かしい椿説を信じ込むような脳天気さんもしかし、
モーツァルトの「交響曲第40番」の第1楽章と第4楽章を
"とてつもなく陽気に楽しく明るく"演奏し、あるいは、
"必要以上に遅く"して演奏することはないし、
そのように期待して聴くこともないのである。原理に反して。
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