チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「題名のある美術展『第2部=転生する美の世界』/鈴木其一生誕215年記念」

2011年02月24日 00時25分12秒 | 絵画・カウンタ(寓意がある希ガスる
私のティーネイジャーの終わり頃、
駿台予備校という大学受験予備校に
鈴木長十という英語の講師(学長)がいた。
「けっこうでございます、田舎の高校や田舎の国立大なら」
「キミたちはラーメンなんてものを食べる?……ふっふっふ」
などという口癖を田舎者丸出しの訛りで吐く、
辛辣な皮肉やジョウクもウリのひとつだった。その
ベアな頭部とチョビヒゲは昭和版「鳥獣人物戯画」があれば、
モデルにうってつけだったことだろう。

京都国立博物館は一昨年から
「鳥獣人物戯画」全4巻を修繕してた。その過程で、
丙巻の台紙から剥がした状態で点検してたとき、
「歩く蛙」を描いた第19紙に染みてる墨が、
第2紙の左右逆版状態=鏡像の人物の烏帽子と
位置がイッチすることに気づいたという。この他にも、
同様の染みが見つかった。この丙巻は、
和紙を20枚横につなぎ合わせたもので、
前半10枚は人物、後半10枚は鳥獣が描かれてるものである。
使われた和紙はその前半と後半がもとは一葉の和紙であり、
その層状になった和紙を半分ずつに剥がして、
10枚だったものをその倍の20枚にしたものだったのである。
判りやすくいえば、ティッシュペイパーを想像するといい。
ティッシュペイパーは2枚重ねになってるので、それを剥がして
それぞれ別々の一葉として使用したようなものである。
これで、
前半は人物ばかりが描かれてるのに、
唐突に後半は鳥獣ばかりになってる奇怪さが説明できる、
ということである。

紙を剥がしたわけではないが、
有楽町の「出光美術館」が所蔵してる
酒井泡一(生誕250年)の銀地の「紅白梅図屏風」も、本来は
「裏絵」だったと言われてる。
この屏風絵は六曲一双である。右隻にしろ左隻にしろそれぞれ、
[6-5-4-3-2-1]と数字を振り当てて、その
表面の六曲の屏風を折りたたむと、
[5-4]と[3-2]が「合わさる」のである。が、
この屏風の裏を考えてみると、
[6'-5'-4'-3'-2'-1']が折りたたまれれば、
[6'-5']と[2'-1']が「合わさる」ことになる。
この「紅白梅図屏風」は後者の合わさりで顔料がくっついてるという。
だから、「裏絵」だった、という推理である。そして、
光琳の金地屏風絵がその「表絵」だったのではないか、
という憶測までされてるらしい。

ともあれ、
今回、この屏風も含めて開催されてる琳派の作品展では、
千葉市美術館が所蔵してる鈴木其一の
「芒野図屏風」(二曲一隻)も展示されてた。千葉まで見にいくのは
なかなかに億劫なので、いい機会だった。

"Season of mists and fellow-Rimpas Suzuki
Close bosom-friend of the maturing sun
Conspiring with him how to load Japanese pampas Susuki
With fruit the vines that round the thatch-eaves run"
(Non Keats)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「E.T.A・ホフマンの『クライ... | トップ | 「神宮(伊勢)の遷宮の初回は... »

コメントを投稿

絵画・カウンタ(寓意がある希ガスる」カテゴリの最新記事