チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキーのオペラ『マゼッパ』と『スペイドの女王』の開始と終いの調性」

2009年02月05日 00時55分35秒 | スペードの女王さまの黒槍責め
[Opening and ending keys in opera Mazeppa and The Queen of Spades]

「チャゲ&飛鳥」がデビュー30周年の今年、
期限なしの活動休止を発表したらしい。いっぽう、
30年来の薄毛症を患ってる私は、すでに
育毛活動が無期限の停止状態、
♪余計な、毛など、ないよね……素肌には素肌で、感じあおうよ♪
101人の女性にプロポウズしても無駄な、
「ハゲ&僅か」である。

1881年から1883年にかけて作曲されたチャイコフスキーのオペラ
「マゼッパ」の舞台はウクライナである。
「東風ュベイ吹かば、にほひをこせよ、梅花。主なしとて、春を忘るな」
日本では非業の死を遂げたものが神として祀られた例がある。
怨霊となって祟ると畏れられたからである。いっぽう、
コチュベイが処刑されるスィーンでは、金管群と
バンダという名のハケン増強人員らが、首を斬られたコチュベイの
無惨な姿を目にした妻や部下らの嘆きを表すのに、ものすごい
音量の壮烈な音楽を吹奏する。う、暗いな。ところで、
ウクライーナといっても、ロシアとの違いがわからない。
チェルノブィーリ原発事故なんて知らない世代が
すでに成人である。戦史に少しは関心があるかたには、
クリミヤ半島、セヴァストーポリ、ヤールタ、そして、マゼッパ闘争の舞台ポルタヴァ、
チャイコフスキーにちょっとは興味があるかたなら、
グラーンキノ、ハーリコフ、オデッサ、妹の嫁ぎ先のカーメンカ、
などという地名は知られてるかもしれないが、
六本木のロシアン・パブに在籍してるロシア人とウクライナ人どころか、
さらにはポーランド人やチェコ人との区別もつかない拙脳な私には、
マゼッパといっても、動詞の連用形+放し
→動詞の連用形+っぱなし→動詞の連用形+っぱ、
という音便化→短縮化したものではないので、ロシアに
混ぜっぱなし、と言「うくらいな」意味としか認識できない。
ロシアそしてソ連、そしてまたロシアに蹂躙されてきた国である。ちなみに、
マゼッパによる反ロ帝闘争の時代に同盟関係だったスウェーデン王国とは、
国旗のお色使いがオソロイである。ときに、
ロシア近代化の技術や人材はドイツ人によるところが大きく、
帝政時代のロシアの貴族や技術者・教師の多くがドイツ系である。が、
かつてモンゴル人のDNAを注がれ隷従させられた過去を持つ
白人のロシアは、そんな異国遺伝子らの筆頭である
ドイツ人が邪魔にもジャーマニーにもなるのと同様、
天然資源や穀倉地帯に恵まれたウクライナをいつまでも
服従させ、縁故(-エンコ)関係を築いときたいのである。さて、
「マゼッパ」の「イントロドゥクツィーヤ(導入曲)」は、
****♪ミ|<ラーーー・ーーー<ド・・<レーーー・ーーー<ミ|
     >ラーーー・<ラー●●・・ラーーー・ラーーー|
     >ソー>ファー・>ミーーー・・ーーーー・>レー>ドー|
     >シーーー・ーーーー・・>ラーーー・●●●●♪
という動機で始まる。「ロ短調(h moll)」である。そして、
「スペイドの女王」の「導入曲」は、
****♪ミー|>ラーーララー・ラー<シー<ドー・・<レ>ド>シ・<ミーーーー♪
という動機で始まる。「ロ短調(h moll)」である。さらにいずれも、
終拍のさらに末端のミ→強拍のラ(属音→主音)という音型である。いっぽう、
「マゼッパ」の「終曲」は、
*♪ド>シ・>ラ>ソ|<ラー・ー<シ|<ミー・>ソー|♪
というマーリヤによる静的狂乱の「子守歌」である。
「変ニ長調(Des dur)」である。ちなみに、
第4交響曲第3楽章のピッツィカート主題とは似てフィナルものである。そして、
「スペイドの女王」の「終曲」は、
****♪ソーーー|ソーーー・ーーーー・・ーーーー・ソーーー|
  <ドーーー・ーードー・・ドーーー・ーーーー♪
というギェールマンの仲間たちの男声合唱による
「鎮魂歌」、そして、オケによる
3度上って2度下がる動機からなる「愛の主題」の変型である。
「変ニ長調(Des dur)」である。この二つのオペラの
ロ短調→変ニ長調、の関係は、
「2♯」→「5♭」という遠隔な間柄なのである。
「マズェーパ」と「ピーカヴァヤ・ダーマ」はともに、
ツァーリから疎まれ、計略によって決闘死させられた
プーシキンの作品が原作である。オペラでは、
いっぽうは、マーリヤの父コチュベイが処刑され、
ラストスィーンでは深手を負ったアンドレイが息絶え、
すでに気がふれてるマーリヤが子守歌を歌う。
かたほうは、伯爵夫人が恐怖で死に、リーザが運河へ身投げし、
幕が閉じられるのは賭けに敗れたギェールマンの自決によってである。
原作の「エピロウグ」では、ギェールマンは気がふれて精神病院で
「トローイカ(3)、セミョールカ(7)、トゥース(1)」、「トローイカ、セミョールカ、ダーマ(クウィーン)」
とブツブツ言ってるのである。いずれにしても、
「マズェーパ」と「ピーカヴァヤ・ダーマ」の幕閉じの音楽は、
チャイコフスキーの数多くの傑作の中でも群を抜いてる。もちろん、
ひとつの作品としての最上の音楽は「悲愴交響曲」だが、
一部としてなら、それに匹敵するほどのものである。
こういう音楽にひきつけられる、こんな音の世界に魅了される、
このような和声に共鳴する、こうした音の高揚・鎮静に魅惑される、
というむきが、真のチャイコフスキー愛好者であると断言できる。

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