昨日は20時頃に帰宅して、シャワーを浴びた。その前に
低視聴率にあえぐ「ぴんとこな」を21時から観るために
"チャンネルをTBSにロック"しといた。シャワーから出てきたら、
「正しい日本語」
みたいな内容の番組をやってた。あとで調べたら、
「プレバト!! 曖昧な日本語をしっかり覚えられる 2時間SP!」
という19時から放送されてた毎日放送制作の番組だった。
ともあれ、そこで長嶋一茂に出された設問は、
「西麻布の交差点の旧称は?」ではなく、
「『かがむ』と『しゃがむ』の違いは?」
というものだった。長嶋の答えは当然に不正解で、
"名古屋大学教授"の町田健とかいうのが、
<『かがむ』=尻が膝より上の状態
『しゃがむ』=尻が膝より下の状態>
のように"正解"なるものを解説した。
gamba(がむば=脚)の折れ程度に関係なく、
尻の位置で定義づけてるわけである。なるほど、
プレ・バトなる番組名は、
pressure battleなどという誤用英語ではなく、
pressure buttという造語だったのである(※)。
が……。
語源はともあれ、
現在使われてる意味としては、
これはまったく正しくない。
『かがむ』とは、程度の大小にかかわらず
『腰を曲げる体勢をとる』ことである。
坐してるときも立ってるときも使う。対して、
『しゃがむ』とは、
『尻を地面・床に着けず、少なくとも片方の膝が
完全に曲がった状態で体勢を低くとる』ことである。
つまり、いわゆるうんこ坐りあるいはヤンキー坐りだけでなく、
「片膝立ち」のような座りかたも含める。
オン・デック(日本でいう"ネクスト・バッター'ズ・サークル)で
次打席を待つ打者の坐しかた
(いっぽうの膝は尻より低く、もう片方は尻より高い)、
相撲の蹲踞(両膝と尻とがほぼ同高度)なども含まれる。
さて、
『かがむ』という語の語源は、
このブログでもたびたび触れてるとおり、
『まがった状態/曲線』を意味する
『かか(kaka)/かが(kaga)』である。
ある物体を「えぐる」と、その結果として
『曲線的にカットされた痕』が残る。
そうした行為を表す動詞が、
『かく(kaku)』なのである。
ショベル・カーの動きである。
欠く・掻く・書くなどという字があてられ、
意味も拡大されてった。これと類似した行為が、
『さく(saku)』である。
割く・裂く・咲く(つぼみが"割れて"花が開く)である。
地層が裂けて生じるのが坂(saka)である。
伊予の方言として残る「しゃぐ(shagu)」という語は、この
「さく(saku)」の子音交替である。
標準語としても「ひしゃぐ」という形で残ってる。意味としては
「押しつぶす」であるが、裂く(割く)同様に、原型をとどめない。
また、裂けたり割れたりして中身が出てくるさまを、
「曝る(さる)」という。これも子音交替で「しゃる」ともいう。
そのように、「細かく砕かれた状態」で出てくるさまを、
sarasara、surasuraなどと擬態する。そして、
実際に音をたてるさまをsharishari、その子音・母音交替で
zharazhara、zharizhariなどと擬音する。ともあれ、
「上から圧がかかって、あるいは、
押しつぶされたように体を丸めて低い体勢をとること」を
『しゃがむ』というのである。
また、
以下は私が推測する「なんちゃって」語源である。
絶対に信じないでいただきたい。
令制時代の行政区分であり、旧国名だった
「相模(国)」というものがある。かつては、
「さがむ(sagamu)」と発音した。現在の
神奈川県の横浜・川崎を除く(これらは武蔵国)ほぼ全域と
静岡県のごく一部である。ともあれ、
相模国は8つの郡から成ってた。
東側から西側に向かって、
御浦郡、鎌倉郡、高座郡、大住郡、余綾郡、愛甲郡、そして、
足上(あしのかみ)郡、足下(あしのしも)郡、である。
相模国西端のこの足上郡、足下郡は、現在も
「足柄」とか「芦ノ湖」とかいったように
「あし」という語を含んだ名が残ってる。
いまは山王川というが、小田原を流れるこの川はかつては
葦子川といって、葦子村という地名もあった。現在は、
芦子小学校という名にわずかにその痕跡がある。ともあれ、この
"足"郡が上下に分割された由来は、
葉加瀬太郎と三枝成彰の顔の区別がままならず、
かつまた、故阿知波信介と三枝成彰の顔が判別できない、
悪しき拙脳なる私には知る由もないが、
この分割線が家康時代の東海道となったらしい。ちなみに、
伊豆半島というのはフィリピン海プレイトが
北アメリカ・プレイトにぶつかって隆起し、皺寄せされた
町田や丹沢あたりからの反作用で
グニャっとねじれてできたものである。ときに、
相模国だけはその国府がどこにあったのか、
未だに解明されてない。その理由のひとつが、
古来の東海道というのが、この
相模国から、文字どおり"海路"となって、
房総半島へと続いたことにある。
それらはともかくも、
真鶴岬と三浦岬をそれぞれ両足首より先と見立てれば、
相模国全体がしゃがんだ人のシルエットとなってるのである。
しゃがみのくに、
というわけ……なのである。いずれにせよ、
釈迦牟尼が修行時代に
しゃがむにあたって尻を床に着けずにずっと
うんこ座りからのスクワットを繰り返してたから、
というのではないようである。
低視聴率にあえぐ「ぴんとこな」を21時から観るために
"チャンネルをTBSにロック"しといた。シャワーから出てきたら、
「正しい日本語」
みたいな内容の番組をやってた。あとで調べたら、
「プレバト!! 曖昧な日本語をしっかり覚えられる 2時間SP!」
という19時から放送されてた毎日放送制作の番組だった。
ともあれ、そこで長嶋一茂に出された設問は、
「西麻布の交差点の旧称は?」ではなく、
「『かがむ』と『しゃがむ』の違いは?」
というものだった。長嶋の答えは当然に不正解で、
"名古屋大学教授"の町田健とかいうのが、
<『かがむ』=尻が膝より上の状態
『しゃがむ』=尻が膝より下の状態>
のように"正解"なるものを解説した。
gamba(がむば=脚)の折れ程度に関係なく、
尻の位置で定義づけてるわけである。なるほど、
プレ・バトなる番組名は、
pressure battleなどという誤用英語ではなく、
pressure buttという造語だったのである(※)。
が……。
語源はともあれ、
現在使われてる意味としては、
これはまったく正しくない。
『かがむ』とは、程度の大小にかかわらず
『腰を曲げる体勢をとる』ことである。
坐してるときも立ってるときも使う。対して、
『しゃがむ』とは、
『尻を地面・床に着けず、少なくとも片方の膝が
完全に曲がった状態で体勢を低くとる』ことである。
つまり、いわゆるうんこ坐りあるいはヤンキー坐りだけでなく、
「片膝立ち」のような座りかたも含める。
オン・デック(日本でいう"ネクスト・バッター'ズ・サークル)で
次打席を待つ打者の坐しかた
(いっぽうの膝は尻より低く、もう片方は尻より高い)、
相撲の蹲踞(両膝と尻とがほぼ同高度)なども含まれる。
さて、
『かがむ』という語の語源は、
このブログでもたびたび触れてるとおり、
『まがった状態/曲線』を意味する
『かか(kaka)/かが(kaga)』である。
ある物体を「えぐる」と、その結果として
『曲線的にカットされた痕』が残る。
そうした行為を表す動詞が、
『かく(kaku)』なのである。
ショベル・カーの動きである。
欠く・掻く・書くなどという字があてられ、
意味も拡大されてった。これと類似した行為が、
『さく(saku)』である。
割く・裂く・咲く(つぼみが"割れて"花が開く)である。
地層が裂けて生じるのが坂(saka)である。
伊予の方言として残る「しゃぐ(shagu)」という語は、この
「さく(saku)」の子音交替である。
標準語としても「ひしゃぐ」という形で残ってる。意味としては
「押しつぶす」であるが、裂く(割く)同様に、原型をとどめない。
また、裂けたり割れたりして中身が出てくるさまを、
「曝る(さる)」という。これも子音交替で「しゃる」ともいう。
そのように、「細かく砕かれた状態」で出てくるさまを、
sarasara、surasuraなどと擬態する。そして、
実際に音をたてるさまをsharishari、その子音・母音交替で
zharazhara、zharizhariなどと擬音する。ともあれ、
「上から圧がかかって、あるいは、
押しつぶされたように体を丸めて低い体勢をとること」を
『しゃがむ』というのである。
また、
以下は私が推測する「なんちゃって」語源である。
絶対に信じないでいただきたい。
令制時代の行政区分であり、旧国名だった
「相模(国)」というものがある。かつては、
「さがむ(sagamu)」と発音した。現在の
神奈川県の横浜・川崎を除く(これらは武蔵国)ほぼ全域と
静岡県のごく一部である。ともあれ、
相模国は8つの郡から成ってた。
東側から西側に向かって、
御浦郡、鎌倉郡、高座郡、大住郡、余綾郡、愛甲郡、そして、
足上(あしのかみ)郡、足下(あしのしも)郡、である。
相模国西端のこの足上郡、足下郡は、現在も
「足柄」とか「芦ノ湖」とかいったように
「あし」という語を含んだ名が残ってる。
いまは山王川というが、小田原を流れるこの川はかつては
葦子川といって、葦子村という地名もあった。現在は、
芦子小学校という名にわずかにその痕跡がある。ともあれ、この
"足"郡が上下に分割された由来は、
葉加瀬太郎と三枝成彰の顔の区別がままならず、
かつまた、故阿知波信介と三枝成彰の顔が判別できない、
悪しき拙脳なる私には知る由もないが、
この分割線が家康時代の東海道となったらしい。ちなみに、
伊豆半島というのはフィリピン海プレイトが
北アメリカ・プレイトにぶつかって隆起し、皺寄せされた
町田や丹沢あたりからの反作用で
グニャっとねじれてできたものである。ときに、
相模国だけはその国府がどこにあったのか、
未だに解明されてない。その理由のひとつが、
古来の東海道というのが、この
相模国から、文字どおり"海路"となって、
房総半島へと続いたことにある。
それらはともかくも、
真鶴岬と三浦岬をそれぞれ両足首より先と見立てれば、
相模国全体がしゃがんだ人のシルエットとなってるのである。
しゃがみのくに、
というわけ……なのである。いずれにせよ、
釈迦牟尼が修行時代に
しゃがむにあたって尻を床に着けずにずっと
うんこ座りからのスクワットを繰り返してたから、
というのではないようである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます