ちょうど2か月前の事です。
パソコン教室トーンを開校させてバタバタの時でした。
妻から妊娠していると告げられました。
二人にとって初めての子供でした。
少し幸せな気分でした。
ところが、
それから妻の様子がだんだんとおかしくなっていきます。
つわりがひどいのです。
とうとう入院しました。
でも、おなかの中の子供はがんばって生きていました。
1週間入院した後、退院。
結局その病院では手に負えないとの事で、少し遠くの大きな病院を紹介されました。
その病院へは、駅まで歩いて行って
そこから電車に乗っていきます。
病院は駅前にありますが、
妻の状況から、電車で通院するということはそれはとてもとても困難な事のように思えました。
我が家は自家用車を持っていないのです(免許はあるんです)。
こういう時に少し大変です。
3週間程前の日曜日、とうとう妻の様子が限界近くまできました。
タクシーを呼びました。
最初に電話をかけたタクシー会社は、
「お宅様の住所は、こちらの住所に載ってないです。」
イライラしました。
怒鳴りました。
近所に聞こえるくらい大声で。
次に電話をかけたタクシー会社からも同じ事を言われましたが、今度は我慢しました。
病院に行きましたが、結局、様子を見ましょうと言われました。
可哀そうでした。
妻も、子供も。
お父さんとお母さんになっている事のうれしさと引き換えに、妻の身体がどんどん衰弱していくように思われました。
それから数日後、妻から、
「今日、お医者さんから、このままだと胎児のみならず母体にも生命の危険があるので、あきらめた方が良いと言われた。」
と言われました。
妻のような場合に、胎児は既に亡くなっている事が多いそうなのですが、子供の心臓は生きていました。
先週の事。
妻は手術をしました。
そして、二人の子供の名前を考えました。
まだ、性別もはっきり分からないので、どちらでも良い名前というのは少し難しかったです。
「レオ、玲央、レオライナ・・・う~ん。。何かそれってDQNっぽくない?」
妻が笑いました。
少しだけ幸せで、
少しだけ不幸せな時間でした。
結局、二人の名前を1個づつとりました。
良い名前だと、思いました。
昨日、お別れをしてきました。
永遠ではなく、少し長いお別れ。
手術をしてくださった病院の方が作ってくれた、棺代わりの紙の箱の中に、
たくさんの折り紙に、ライオンズグッズやおもちゃを入れました。
そうそう、そればっかりじゃおバカさんになっちゃうと思って、ボールペンとメモ帳も入れました。
30分ちょっとで
ほんの少しだけの
白くて
小さな
塊になりました。
妻と、妻のお母さんと3人で見送ってきました。
そうか。二か月間で、身内の一生を見届けたのか。
帰りに借りた車を運転しながら、遠くの空をみました。
とても綺麗に晴れてました。
ポッカリムネニアナガアイタカンジニナリマシタ。
二か月間だけど、お父さんとお母さんとおじいちゃんとおばあちゃんになれたよ。
お母さんはとても辛そうだったけれど。
でもね。
とても幸せだったよ。
ありがとね。
今日は、入籍してから10年目の記念日です。