幸せは自分と言うよりは、幸せを追いかけていったらどうなるんだろう??と、三年取り組んでみたわけですが…
幸せな文字や、幸せな物や、とにかく脳が幸せに思う方向に物を置き幸せを集めきる…
すると、どうなるかと言うと幸せな風景が千代紙のように出来上がって、どこを見ても幸せだったからこそ、自分の心は確実に幸せ者なのだと、紛れもなく思ったのでした。
思うと言う確信が、100%だったら、とても自信が持てたのでしたから、普通にすごすことが段が1段違う気がする三年後。
幸せと言うのは…案外普通のところに見いだすことをできる神経が、幸せ者なのかもしれませんね。想像じゃなくて、幸せについて本当に知っていることが多い今日の私の記憶は、本当に幸せ者だったなと…記憶のパレードで思うのです。🏺💮
良く慣れたからには、浅い川のせせらぎにも輝くような、さらさらとした浅い幸せが美しい…。