10月21日(土)13時30分からJR四ツ谷駅近くのスクワール麹町3階「錦華」に於いて、新潟県、佐渡市共同主催の首記シンポジウムが開かれた。
主題は、「佐渡金銀山の価値と魅力を考える」。
朝から小雨が降り続き肌寒い中、250名余の参加者を得て、定刻に開始した。
その模様をご報告いたします。
受付状況。肌寒い雨模様であるため、出足が心配。
受付前に並ぶ佐渡パネル。
開始直後の会場出席者。
まず、開会挨拶として米山知事に代わって益田副知事が知事の挨拶文を代読した。
米山知事のあいさつ文を代読する益田新潟県副知事。
シンポジュウムの目的を述べ、佐渡金銀山の価値と魅力を皆さんに知ってもらいたいと述べた。
次いで、首都圏佐渡連合会坂田会長が挨拶に立った。
坂田首都圏佐渡連合会会長は代官を従えての挨拶。
6月末の今年の世界遺産登録候補の発表時の雰囲気、昨年から今年初期にかけての活動状況を報告。また、10月佐渡再発見の旅に参加した時の感想を述べ、宝の島の魅力をアピール。
ここで、参議院議員であり佐渡金銀山世界遺産議員連盟幹事長の塚田一郎さんからお祝のメッセージを司会者から読み上げられた。
次いで、新潟県教育庁文化行政課世界遺産登録推進室北村室長による登録に向けた取り組み状況が報告された。
金銀山の世界遺産登録に向けた取り組み状況を報告する北村室長。
資料を配布して佐渡金銀山の概要、構成資産の価値、経緯と今後のスケジュール等について説明された。
引き続き、司会者から本日の基調講演者である小風秀雅先生が紹介された。先生は、佐渡金銀山世界遺産登録の推薦書を書いていらっしゃる一人で、まず、今まで推薦を得られなかったことについて詫び、今回原点に立ち返ってみたいと述べられた。
小風先生は、まず、産業遺産とは? から始まった。
小風佐渡金銀山世界文化遺産学術委員会委員長による講演情景。
スライドを使って産業遺産の例を挙げ、産業遺産の定義を説明。
相川金山の開発状況を説明された。
佐渡金銀山開発初期の露頭掘りの状況を顕著に表している道遊の割戸。
佐渡の特徴は、採掘地域とそれらの開発に携わっている人が住むきれいな街並みと一体化されている。それが現在残っており、同時に見られることである と述べられた。
図式化すると下記のように表される。
採掘地域と働いている人の街並みとが一体化されている状況図。
約45分間の講演が終わった。
休憩なしでパネルディスカッションが始まった。
司会者から基調講演された小風先生他3名の方が紹介された。
◎ コーディネーター 岡田保良先生
国士舘大教授 佐渡金銀山世界文化遺産学術委員会委員
◎ パネリスト
〇 鈴木 一義 先生
国立科学博物館産業技術史資料情報センター長 佐渡金銀山文化遺産学術委員会委員
〇 小田 由美子 先生
新潟県教育庁文化行政課世界遺産登録推進室 調査研究担当政策企画員
司会者からパネルディスカッションコーディネーターの紹介。
4名によるパネルディスカッション情景。
岡田先生がコーディネーターをして進む。
まず、小風先生が講演で漏らしたことについて述べたのち、鈴木先生が、佐渡で行われていた精錬法と海外の精錬法の違いについて説明された。
鈴木一義先生による精錬技術法等の説明。
佐渡の金精錬法が世界に比してすぐれていたと述べられた。通常は、鉱石を砕くのと精錬は、平地(別の所)で精錬されるのが通常ですが、佐渡の場合は、同一場所で行われたことが特徴と述べられた。
小田先生は、西三川砂金山について詳細に、水路を10キロ以上引いて浮遊選鉱法で砂金を得ていたことを説明された。
岡田先生が金銀山を世界遺産にするにはどういう観点を強調したいか と各先生に問うた。
鈴木先生は、佐渡金山で精錬された金は、金座でのものよりも純度が高かったこと、地区内には娯楽施設もあり人を大事にしてきたこと等について説明された。
その他詳細は略します。
佐渡金銀山は海外の先生方がどのように注目されているか 資料が存在するのか について聞きたいとして、一昨日日本に到着したドイツ人のエリックパワー先生夫妻が紹介された。
日本の文化について特に佐渡とは強いつながりがあり、研究されているとのこと。
ドイツ人エリックパワーさん。
先生によれば、絵巻は現在まで16個発見したこと、パリ、スイスの博物館等に保管されている。スライドでそれらを説明し、佐渡の絵巻物は、外国との交換物、おみやげ物として扱われたことと思われること等について説明された。
熱心に聞き入る参加者。
岡田先生が今日感じたことを述べ、約1時間のパネルディスカッションを終えた。
先生方を拍手で送る。
シンポジュウムの閉会にあたって、三浦佐渡市長が立ち、来年に向かって首都圏では今日が出発点だと述べ、“来年には必ず登録推薦を得たいので応援をお願いします” として終えた。
主催者である佐渡市長の閉会挨拶。
基調講演、パネルディスカッションともにもう少し時間が欲しい と感じたのは私だけだろうか。時間が短く、もったいないように思った。
主題は、「佐渡金銀山の価値と魅力を考える」。
朝から小雨が降り続き肌寒い中、250名余の参加者を得て、定刻に開始した。
その模様をご報告いたします。
受付状況。肌寒い雨模様であるため、出足が心配。
受付前に並ぶ佐渡パネル。
開始直後の会場出席者。
まず、開会挨拶として米山知事に代わって益田副知事が知事の挨拶文を代読した。
米山知事のあいさつ文を代読する益田新潟県副知事。
シンポジュウムの目的を述べ、佐渡金銀山の価値と魅力を皆さんに知ってもらいたいと述べた。
次いで、首都圏佐渡連合会坂田会長が挨拶に立った。
坂田首都圏佐渡連合会会長は代官を従えての挨拶。
6月末の今年の世界遺産登録候補の発表時の雰囲気、昨年から今年初期にかけての活動状況を報告。また、10月佐渡再発見の旅に参加した時の感想を述べ、宝の島の魅力をアピール。
ここで、参議院議員であり佐渡金銀山世界遺産議員連盟幹事長の塚田一郎さんからお祝のメッセージを司会者から読み上げられた。
次いで、新潟県教育庁文化行政課世界遺産登録推進室北村室長による登録に向けた取り組み状況が報告された。
金銀山の世界遺産登録に向けた取り組み状況を報告する北村室長。
資料を配布して佐渡金銀山の概要、構成資産の価値、経緯と今後のスケジュール等について説明された。
引き続き、司会者から本日の基調講演者である小風秀雅先生が紹介された。先生は、佐渡金銀山世界遺産登録の推薦書を書いていらっしゃる一人で、まず、今まで推薦を得られなかったことについて詫び、今回原点に立ち返ってみたいと述べられた。
小風先生は、まず、産業遺産とは? から始まった。
小風佐渡金銀山世界文化遺産学術委員会委員長による講演情景。
スライドを使って産業遺産の例を挙げ、産業遺産の定義を説明。
相川金山の開発状況を説明された。
佐渡金銀山開発初期の露頭掘りの状況を顕著に表している道遊の割戸。
佐渡の特徴は、採掘地域とそれらの開発に携わっている人が住むきれいな街並みと一体化されている。それが現在残っており、同時に見られることである と述べられた。
図式化すると下記のように表される。
採掘地域と働いている人の街並みとが一体化されている状況図。
約45分間の講演が終わった。
休憩なしでパネルディスカッションが始まった。
司会者から基調講演された小風先生他3名の方が紹介された。
◎ コーディネーター 岡田保良先生
国士舘大教授 佐渡金銀山世界文化遺産学術委員会委員
◎ パネリスト
〇 鈴木 一義 先生
国立科学博物館産業技術史資料情報センター長 佐渡金銀山文化遺産学術委員会委員
〇 小田 由美子 先生
新潟県教育庁文化行政課世界遺産登録推進室 調査研究担当政策企画員
司会者からパネルディスカッションコーディネーターの紹介。
4名によるパネルディスカッション情景。
岡田先生がコーディネーターをして進む。
まず、小風先生が講演で漏らしたことについて述べたのち、鈴木先生が、佐渡で行われていた精錬法と海外の精錬法の違いについて説明された。
鈴木一義先生による精錬技術法等の説明。
佐渡の金精錬法が世界に比してすぐれていたと述べられた。通常は、鉱石を砕くのと精錬は、平地(別の所)で精錬されるのが通常ですが、佐渡の場合は、同一場所で行われたことが特徴と述べられた。
小田先生は、西三川砂金山について詳細に、水路を10キロ以上引いて浮遊選鉱法で砂金を得ていたことを説明された。
岡田先生が金銀山を世界遺産にするにはどういう観点を強調したいか と各先生に問うた。
鈴木先生は、佐渡金山で精錬された金は、金座でのものよりも純度が高かったこと、地区内には娯楽施設もあり人を大事にしてきたこと等について説明された。
その他詳細は略します。
佐渡金銀山は海外の先生方がどのように注目されているか 資料が存在するのか について聞きたいとして、一昨日日本に到着したドイツ人のエリックパワー先生夫妻が紹介された。
日本の文化について特に佐渡とは強いつながりがあり、研究されているとのこと。
ドイツ人エリックパワーさん。
先生によれば、絵巻は現在まで16個発見したこと、パリ、スイスの博物館等に保管されている。スライドでそれらを説明し、佐渡の絵巻物は、外国との交換物、おみやげ物として扱われたことと思われること等について説明された。
熱心に聞き入る参加者。
岡田先生が今日感じたことを述べ、約1時間のパネルディスカッションを終えた。
先生方を拍手で送る。
シンポジュウムの閉会にあたって、三浦佐渡市長が立ち、来年に向かって首都圏では今日が出発点だと述べ、“来年には必ず登録推薦を得たいので応援をお願いします” として終えた。
主催者である佐渡市長の閉会挨拶。
基調講演、パネルディスカッションともにもう少し時間が欲しい と感じたのは私だけだろうか。時間が短く、もったいないように思った。