アマゾンわんわん日記 2018

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抗議行動の夜

2013年06月21日 | ブラジル雑記
昨日はブラジル中で抗議行動が起こりました。
主な都市だけでも、およそ100都市で抗議行動がありました。
地方の町などを含めると、本当にブラジル中が抗議行動の渦に巻き込まれたといっても過言ではないかと思います。
テレビ各局では、午後から全国各地を結んで中継。
どのチャンネルでも抗議行動ニュースでした。

マナウスでも、セントロのマトリス広場を中心に人々が集まりました。
その数は8万人から10万人といわれ、リオデジャネイロの30万人に次ぐ参加者だそうです。
マトリス広場から集まり始めた人々は、セントロのメインの道路であるエドゥワルド・ヒベイロ通りを埋め尽くし、アマゾナス劇場前のサンセバスチアン広場まで埋め尽くしました。
人々が集合した広さだけでも、道路にして3kmほどの距離になったとか!

午後5時、抗議行動の始まりと共に、人々は手に手にプラカードを掲げ、行進を始めました。





プラカードに書かれたのは「ワールドカップよりも、より良い教育を!」「学校とFIFAもみとめるような施設の整ったのよい病院を!」等々。

この光景をテレビで見ていた私と娘、「これって、何かに似ていない?...そうだ!葉きりアリだ!」
葉っぱを切り取ってはこんでいくあれです。
似てるよね。
不謹慎でごめんなさい。

午後5時というのは、全国的に申し合わせのあった時刻なのか、少なくてもテレビで中継された都市ほとんどで午後5時に抗議活動がスタートしていました。(ええと...レシフェだけが午後3時スタートだったかな?)

セントロを出た人々は、途中で2つのグループに分かれました。
多くの人々は、ジジャルマ・バッチスタ通りを北上。
現在建設中のサッカー場まで、約7kmを行進。
途中、混乱もなく、過激分子による破壊活動もなく、穏やかなうちに抗議行動を終えました。

もう一つの少数はグループは、市役所に向けて行進。
こちらには過激分子が多くいたようで、途中でバスに石を投げて窓ガラスを割ったり、市役所に着くと、進入を図って警察官ともみ合いになったりしました。
午後9時すぎ、過激分子が信号で止まっていたバスを乗っ取り、乗客や運転手などを降ろした後、放火しました。



そのほかにも、テレビ局の中継車を破壊したり、近くの商店や銀行を打ち壊したりと、かなりの被害が出たそうです。
ただ、このあたりは普段からあまり治安の良いところではないので、果たして抗議行動参加者だけの仕業なのかは不明。
わりと、近くの住民が入っているのではないかしら?!

バス会社の中には、こうした被害を予想して、午後4時以降すべてのバスの運行を取りやめた会社もあるとか。
人々に不便になるけれど、やっぱりバス焼かれたら被害額は大きいものね。
バス会社の気持ちもわかる。


娘の友達はみんな穏健なサッカースタジオ地方行進組みに参加。
お父さんが軍警察官のペドロくんが「貴重品は持たない!」「みんなでまとまって歩く」「行進の最初のほうと最後のほうには行かない!」等々、お父さん直伝の安全対策をみんなに伝え、コレージオミリタール組を仕切っていたとか。
最後まで歩ききったお友達、今日はみんな充実した表情で登校したそうですが、みんなそろって「筋肉痛だ~」とのこと。
抗議行動前に、準備運動をする必要がありそうね。

ブラジリアでは、外務省の建物で窓ガラスが割られるなど被害が出ました。
リオでは交番が焼かれたし。
サルバドールは一番過激的な抗議行動だったようで、かなりの負傷者が出たようです。

他の都市では抗議行動はすっかり収まったのかどうかはわかりませんが、少なくてもマナウスは今日は平穏。
リオやサンパウロのように長引かなくて良かったです。

娘によると、政治色を排除したこうした抗議行動は、1992年コロール大統領を失脚に追い込んだ「CARA PINTADA」と呼ばれる、学生が中心となって起こした抗議行動以来だそうです。
1992年と言ったら、私がブラジルに来た年。
ええと...21年ぶりってこと?!

これで、社会が変わるのか?!
即効性は認められないかもしれませんが、ぜひぜひ、教育と医療の充実)、汚職の排除など実現して言ってほしいです。

コメント
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