5月1日。
ブラジルの永遠のアイドルにして英雄、アイルトン・セナの28回忌でした。
この日リオのキリスト像は、セナの着用していたヘルメットの色で照らし出されました。
1994年5月1日、セナが亡くなったその日、私はリオの海軍基地で日系団体の運動会に参加していました。
まだ、結婚前のこと。
夫は夫で 職場の集まりで出かけていました。
そこに、セナがレース中に事故にあい、重症らしいというニュースが飛び込んできました。
この年のサンマリノGPはアクシデント続出。
予選走行では、セナとも親しい関係だった ブラジルのルーベンス・バリチェロがクラッシュし、病院に搬送される事故がありました。
また、オーストリアのラッチェンバーガーが事故で死亡と、波乱含みの幕開けでした。
そんな中で迎えた決勝レース。
ポールポジションでスタートした彼は、左コーナーに高速で侵入。
その際、車体に異常が生じ、マシンは緩衝材もないコンクリートの壁に激突しました。
マシンは大破。
外れたタイヤがコックピットを直撃したとその時は聞きました。
(その後、衝突の衝撃で破損したマシンのサスペンションの部品がヘルメットを貫通していたと報道がありました。)
初めに聞いたニュースは、まだ重体だということでした。
みんな彼が生き延びてくれることを祈りましたが、まもなく 亡くなったらしいとの話が伝わってきました。
彼のコックピットの中からは、オーストリアの国旗が折りたたまれて見つかったということです。
予選走行中に亡くなったラッチェンバーガーを称え、ゴールの際に掲げようとしていたのではないかと言うことでした。
何十年たっても、あの時のことは忘れられません。
30分前のことも「あれ?なんだったっけ?」なんて会話を交わす、ボケはじめを心配しだした夫も私も、28年前の5月1日のことになると不思議なことに話が尽きません。
セナはリオの海岸部、マンガラチーバというところにあるリゾートホテルがお気に入りで、家族とよく訪れていました。
たまたまそこで出会ったという知り合いの息子さんは、「ペケママさん、僕のね宝物なんだ!」と、一緒に撮った写真を誇らしげに見せてくれました。
ブラジル中のアイドルでありながらも、人間味のある人柄。
そんなところが多くの人に慕われたのではないでしょうか。
永遠なれ!!