マイリビングダイアりぃ

趣味?興味?大好きな人(もの)達について、毎日は無理ですが、更新していきたいと思っています。見に来てくださいね。

「東海道五十七次!?」ブラタモリより

2024-12-07 | カルチャー 見聞
録ってあった番組を観るのを忘れていて・・
偶然で録ってみようと思った「ブラタモリ」それも三夜続きの番組だったのもつゆ知らず・・最初の回しか・・なんですがご存じの方は多いかと思いますがあの「東海道五十三次」に別ルートの「五十七次」というのがあったということで・・五十四次編をご紹介します。
まずは終点地「京都の三条大橋」の事から・・・
 秀吉の時代に作られた時は「石の橋」だったそうで今もその一部が残されています。三条大橋は何度も歩いたことがありましたが、この遺跡には気が付いてなかったです~~
   ここ三条大橋がゴールなのですが、「広重」が描いた三条大橋の絵は「木の橋」になっています(あの人は想像で書いているのだ・・とタモリさん・・紀行番組でも「比叡山」は見えない所でも、書き込まれてたり・・・・そんなことを言ってらした有識者もいましたね)
   「徳川」が作った「五十七次」というルートがあったのですね。
   「大阪」までのルートです
   大津側に少し戻ったあたりで、南西に進むと三叉路が見えてきました。
   こちら辺りで江戸時代は「大津絵」という手書きの絵が道中のお土産で人気があったそうです。
   手書きでも大量生産するために型を作って描いていかれてたようです。
  江戸時代の三差路、タイムスリップしてみたくなりますね~~。
  「徳川幕府」としては大名と天皇の接触をさえぎるためにこのルートを作ったのですね。
いよいよ別ルート五十四次へ・・
    
   
   伏見稲荷へは行ってますが、この「元宿場町」だった「伏見」の元東海道ルートを散策しにいきたな~~
   この「豪川」も興味津々でした。秀吉の時代の伏見城のお堀だったんですね~~
   「家康」はこれを利用して「流通」ルートも作って宿場町を発展させたようです。
   
家康は「伏見」で過ごしたのが一番多かったようです。そして・
  こちらを寄進した水戸の「徳川頼房」が「伏見」で生まれてるそうです。
  わが紀州藩主の「徳川頼宜」もこちらを寄進してて、「伏見」で誕生だそうです。
 尾張「徳川義直」も伏見で生まれた・・とか・・
そして・・わが地方にもあある「総本家駿河屋」ですが・・
  どんだけ代が続いてるんでしょう~和歌山へ着た頃はよく買ってましたね~(和歌浦せんべいなど今は色々な創作和菓子が豊富です)
   こちらも江戸時代にタイムスリップしたいですね~~
凄いカルチャーできました~五十五次は「淀」の様です。そして「枚方」「守口」だそうです。(録るの忘れたの残念です~~)

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