今は異国となった台湾での華麗な歴史、
大正末期から戦争の時代へ、そして突然の終戦
僅か26年、蕾のままで幕を閉じ
今、『母校』は中華民国立法院となっている
フリー百科事典 Wikipedia 中華民国立法院
建物
南京に立法院があった時期、議事堂は南京市中山北路に建っていたが、
現在は人民解放軍の軍人倶楽部となっている。
台北移転後は中山堂(日本統治時代の台北公会堂)を使用していたが、
1960年以後は日本統治時代の
「台北州立台北第二高等女学校」校舎(台北市中山南路)を使用している。
西暦1919年、大正八年に開校し、
1945年、空襲で爆撃を受け大破、4師の殉職で終焉を迎えた
台湾が日本の植民地だった頃は外地と呼ばれ、
終戦で引き揚げ今は外国・・
*大正八年には両親すらもまだ生まれていない我が輩も
北海道では本州四国九州を内地と呼んでいた・・
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