月半ばに提出期限の展覧会の作品を創り始めた。
「自問自答」向井秀徳
いつも使う紙で書いていたらあまりイメージに合わないので、少し高いのだけれど「羅紋宣」という、ハリハリと透けそうに薄い紙を買った。
とても面倒だけれど、ペーパーナイフで大きな紙を丁寧に縦割りにする。
イメージってなんだろう、と思う。
私が書作するとき、音楽から受ける、詞から受ける、そのイメージを、なるべくそのまま起こそうと思ってそうする。
俳句にももちろん、書のイメージがある。
そして写真に撮って画像にするとき、その雰囲気の加工をするわけで、そこにもまたイメージがある。
なんというか、イメージ、しかない、と言っても良いのかもしれない。
いつもあるのは、頭の中のイメージ、ただそれだけなのである。
イメージが具体的であるのなら、上手く表現できるかは、もう本当に技量の問題である。
まあでも、「イメージが具体的」という言葉さえもよく分からないものではあるけれど。
創作物について喋り過ぎるのは、野暮というものだし、何せ言葉にできない何かを乗せようとしているので特段喋ることはないのである。
と、いっぱしのアーティストを自分で嘲笑いながら気取ってみたり、実際にその端くれであるという覚悟を、私はいい加減矜持として持たねばならない。
しかし、この詩は前作の中原中也「憔悴」よりも長いのではなかろうか。
1セット書くだけで2時間以上かかる。
当然、困憊。
「IT'S A POPPIN' TIME」に入っていた「エスケイプ」という曲。
山下達郎もこんな詩を書くのだなと、あと、曲が良過ぎてもう・・・と言った感じ。
一反の「羅紋宣」の商品ではない添え紙のような感じで入っていた薄い紙に書いた。
書道用紙ではない。
これはこれで良い感じの風合いだ。
おそらく墨の色が残らないだろうと、書いた直後に、まだ濡れているうちに撮影した。
翌朝、干からびた感じで何にもなりそうになかったので、そのまま丸めて捨てた。
天国は無いと言い切る花絨毯
「自問自答」向井秀徳
いつも使う紙で書いていたらあまりイメージに合わないので、少し高いのだけれど「羅紋宣」という、ハリハリと透けそうに薄い紙を買った。
とても面倒だけれど、ペーパーナイフで大きな紙を丁寧に縦割りにする。
イメージってなんだろう、と思う。
私が書作するとき、音楽から受ける、詞から受ける、そのイメージを、なるべくそのまま起こそうと思ってそうする。
俳句にももちろん、書のイメージがある。
そして写真に撮って画像にするとき、その雰囲気の加工をするわけで、そこにもまたイメージがある。
なんというか、イメージ、しかない、と言っても良いのかもしれない。
いつもあるのは、頭の中のイメージ、ただそれだけなのである。
イメージが具体的であるのなら、上手く表現できるかは、もう本当に技量の問題である。
まあでも、「イメージが具体的」という言葉さえもよく分からないものではあるけれど。
創作物について喋り過ぎるのは、野暮というものだし、何せ言葉にできない何かを乗せようとしているので特段喋ることはないのである。
と、いっぱしのアーティストを自分で嘲笑いながら気取ってみたり、実際にその端くれであるという覚悟を、私はいい加減矜持として持たねばならない。
しかし、この詩は前作の中原中也「憔悴」よりも長いのではなかろうか。
1セット書くだけで2時間以上かかる。
当然、困憊。
「IT'S A POPPIN' TIME」に入っていた「エスケイプ」という曲。
山下達郎もこんな詩を書くのだなと、あと、曲が良過ぎてもう・・・と言った感じ。
一反の「羅紋宣」の商品ではない添え紙のような感じで入っていた薄い紙に書いた。
書道用紙ではない。
これはこれで良い感じの風合いだ。
おそらく墨の色が残らないだろうと、書いた直後に、まだ濡れているうちに撮影した。
翌朝、干からびた感じで何にもなりそうになかったので、そのまま丸めて捨てた。
天国は無いと言い切る花絨毯