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水仙は満開。
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鉢植えの蘭も蕾が出てきた。
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シャクヤクも芽を出した。いよいよ春が来た。
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中古で買った。少し前のブログで唐木順三氏の「無常」について
書いたが、ずっと以前から無常には興味があって、その理由は
日本固有の美的理念である侘・寂が、無常を根底に持っているの
ではないかという思いがあったからだった。
無常とは、この世のものはすべて滅び生々流転を繰り返すという
もので客観的事実だが、これを滅びの美学として芸術に取り込ん
だのではないかと思う。
この本はそのあたりの事を取り上げたもので、私にとっては当を
得た内容で感動した。
唐木順三氏は作家なので分かりにくい部分も多いが、この本の著
者西田正好氏は学者なので理路整然としている。
しかし二人は兼好について同じような見方をしている。唐木氏は
自覚的無常観と言い、西田氏は肯定的無常観という。
いずれも無常観によってニヒリズムに落ちず、積極的に生きる術
としたとみている。徒然草第七段には
「世は定めなきこそ、いみじけれ」とある。また一三七段には
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」という有名
な言葉がある。人は満開の花を好み、雲の無い月を好む。しかし
それだけが花や月の良さではないという。この感覚が侘・寂では
ないかと私は考えている。写真にもこの日本的美観を取り込めれ
ばいいなと思う。
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