今日も暑い1日、
三国志沼でぷかぷかと泳いでいるTAKAMIでござりまする。
一応、一般の読者さま(なんて失礼な言いようで申し訳ござりませぬ)にもご理解いただけそうな記事にしますゆえ、ゼヒともお付き合いくださりませm(_ _)m
「周瑜(しゅうゆ)のお葬式」
子供の頃から、中国人は、お葬式のときに「泣き男・泣き女」などというプロを雇って、盛大に泣きまくるお葬式をやる…という話聞いたことありません??
ご存じなら嬉しい\(^o^)/
ご存じな人、ぜひコメントしてね♪
それが事実なのかどうかは、ちゃんとは確かめておりません…ちょっとだけググってはみましたのですが、同じ動画が出てきまくるので、のちほどご紹介します。
DVD三国志においては、あらゆるお葬式の場面で、参列しているすべての人がめっちゃ泣きまくります。
泣きながら、棺の前で故人への弔辞を述べるのです。
死を悼み、功績を称える弔辞には、述べる人の価値観や人生観までもが見えるのです。
コレ、異文化なり。すごく印象的でした。
まあ、とにかくお葬式だけじゃなく、ストーリーの中で、中国男児よく泣きます。めっちゃ泣きます。
日本男児は、武士道的に「男たるものは泣かぬ」…みたいいなのってあるじゃないの。
「泣くな、男でしょ!」みたいな、、、大泣きしながら弔辞を読む人いないし。
人前でなくのは恥ずかしい…とは、男児ならずとも、女子もそうかも。
私は、堂々と人前で泣く中国スタイルのほうが断然いいなあと思いました。
さて。
「諸葛孔明」(しょかつこうめい)が「周瑜」(しゅうゆ)のお葬式の弔問に訪れる場面。
細かいことは割愛。
「周瑜」という人は、諸葛孔明と同盟を組み、(正確には国同士の同盟ですけどね)ともに「赤壁の戦い」という、三国志でも超有名且つ超重要な戦いでともに敵と戦って、大勝します。
しかし、周瑜は、孔明の超人的な才能に嫉妬し、隙あらば孔明を殺してやろうと思い続けていたのです。
しかし、孔明にはかなわず。自分のほうが先に死んでしまいます。
「口惜しい・・・。天はこの周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮も生んだのか!」と言って周瑜は息絶えました。
諸葛孔明の才能に嫉妬しまくり、憤死したようなもの。
周瑜はものすごい軍事的才能の持ち主だったのですが、孔明への深すぎる嫉妬心のため、大勢を見失い、ついに死に至りました。
そこへ、諸葛孔明が弔問に現れました。ぬけぬけと。
側近の武将たちが剣を抜こうとします。
泣き男、諸葛孔明アッパレ。
「我らはかくて生きながらえる。公瑾(こうきん…周瑜のあざな)はこの世を去り、これがとこしえの別れとならん。
なんといたましいかな、なんと口惜しきかな!!」
…に始まって、周瑜の功績を大泣きしながら讃えまくるところは名俳優であります。
「公瑾よ、天はなぜかくも薄情なるか。そなたは天下の奇才、天下の名将たり…」
もう一人の聡明な軍師、魯粛(ろしゅく…周瑜の後継者となる人)という人がそれを見ながら、後輩?に言います。
「国を背負うもの、ツラの皮の厚さも必要だ。
公瑾殿の死は、あきらかに孔明が招いた。
されど、孔明はかくも親の死を嘆くが如く、公瑾の死を悼んでおる…」
孔明は、周瑜は敵であったけれど、友であったのに…とさらに泣きじゃくります。
敵同士の立場であっても、相手の才を認め、敬っているのは、嘘ではないのです。
孔明の大袈裟と思うほど泣きながら述べる弔辞を聞いて、敵の武将たち、参列者達も、感嘆し、もらい泣きをします。
私は、この一連の周瑜のお葬式の場面がすご~~~く好きなのよね~~ん♪♪
さて、私が見つけたYouTubeの「泣き女」画像。
これまたスゴイわ~~
こーゆう職業の人がいるとは( ̄□ ̄;)!!
故人を悼んでこれでもかと泣きまくり、功績を称え、泣きながら歌ってパフォーマンスまでする。
日本人としては、全く理解できないようで、コメント、けちょんけちょんですわ~
しかし。
実は私はこれを見て、選挙のウグイスのとある方を思い出しました。選挙のウグイスというのも、日本独特の文化。
私より若いけど、プロ中のプロの方です。
彼女と知り合ったのは、「綾川」ののどかな「おかげさま選挙」の時です。
香川に帰ってきて、初めて選挙のウグイスの依頼があり、請け負ったのが、綾川町議会選挙、保守系無所属の候補者のウグイスでした。
うどん県人なら誰もがご存じの、名店が数多く、「まんのう公園」もある、田舎の選挙。
最終日、超ベテランの彼女の口から、
「明日の投票日は、〇〇〇〇と、墨痕鮮やかにお書きください」
ってのが出てきたときには、ぶっとびましたわ~!「ボッコン」とな!
これ、とある政党の選挙ウグイスマニュアルにあったと記憶しています。
今時、「ボッコン」が出てくるとは( ̄□ ̄;)!! いくらなんでもレトロすぎる。
しかし、これが田舎の「おかげさま選挙」には通用するのだ。
彼女は、走りながら、手を(口を)抜くところは抜き、大きな通りの交差点の信号待ちの時には街宣車の窓から身を乗り出して、演説をします。
演説といっても政策を訴えるわけではないのです。
ひたすら、通行人、ドライバーのみなさんに「お願いします」を訴える。
この説得力がスゴかった。中身ではなく、臨機応変な言葉の組み立て方が素晴らしいのです。
実際、何度も拍手が起こっていました。
そして、最終日の日も暮れかけた頃、彼女のトークには「泣き」が入ってきました。
これまた「お決まり」なんだけど、彼女の泣きは違う。
最後には泣きながら訴え、すっかり暗くなって陣営(選挙事務所)に戻って来たときも、
後援者の拍手喝采で迎えられ、彼女は泣きながらそれに応えていました。
彼女は、数多くの選挙を戦ってきて、候補者が誰であろうがその1回1回に一声入魂しているのだと思います。
最終日に泣きが入るのも、素人のウグイスさんのように感情に流されるのてはなく、
諸葛孔明の弔辞と同じ領域なのではと…
私は彼女は日本のウグイスの10本の指に入るほどの方だと思いました。
これまで都会での選挙しか経験のなかった私にとっては青天の霹靂!
私は保守系の候補者を破って当選させるウグイスをやってきましたが、
彼女は、「勝てる選挙しか引き受けない」と仰っていました。
この田舎の「おかげさま選挙」というのも、大変お勉強になりました。
一度ゼヒこの方とウグイス同士で戦ってみたいと思ったものでした。
三国志には、奇才の軍師、猛将がたくさん登場します。
敵同士、才能のある人物ほど、名だたる敵の勇者を心で認め敬う心があっても、現世で友となることはあり得ない。
猛将同士のものすごい一騎打ちの場面も何度かありますが、
これら両人は、オリンピックのように、本番で戦ったあとは肩を抱き合って相手を称えることはない、、、
…なんてことに感慨をおぼえつつ、三国志沼に浸かっておりまする、、、
孔明とウグイス嬢、面白いの~。
孔明の大げさな泣きやウグイス嬢の選挙応援、オーバー過ぎるパフォーマンスが人を感動させ、しいては世を動かして行くのかもしれんの~。
それが演技であると悟られてはならぬから、そのパフォーマンスは相当なワザが必要であろうの~。
人前の大泣きは、そちの指摘する通り、やはり日本人には理解できぬこと。
しかし、その過ぎたる演技こそが外交でも選挙でも必要であろうの~。
あるものをないと云い、ないものをあると云い、また小さなものでも大げさに云う。
中国(厳密には中国共産党)は、そんな気質でないと、大昔から広い大陸を治めることができないのであろうか?
有史以来選挙の行われていない国、井戸掘りの調査で山に入っただけで拘束される国、圧巻は政府批判しただけで戦車に轢き殺される国。
中国人の大泣きは、半分ウソと見ていた方が無難だろうの~。
随分、脇道にそれてしもうたがの~。許せ。
まるで大河直虎の和尚のようなしゃべりになってしもうたわい。
なにもしらない 四国の田舎からでできた私にとって
はじめてのカルチャ-ショツクでした。
なかちゅわん、お出まし有難きかな!
最後まで隅々までじっくりとお読みいただき心より感謝申し上げまする。
最近はご自宅で心地よぉお飲みになっておるようでございますな。
さすれば「~」にょろにょろが出てまいるのですな。
我は、山崎豊子著「大地の子」により、中国の国民性やビジネスの手法等々について学びましてございます。
正に「あるものをないと言い、ないものをあると言い、また小さなものでも大袈裟に言う」
小説では、これで日中共同プロジェクトを進めてゆきますゆえ、日方はたまったものではござりませなんだ。
孔子、孟子の国であるのに、かくも変容しておりますが、
葬式で大泣きするは2千年近く前から綿々と受け継がれておるようでございますな。
ウグイスもまた政治の一端を担う職業。
とはいえ、職業ウグイスは殆ど与党に偏っており、野党に職業ウグイスなるものは殆どおらぬと思われまする。
おったとしても、与党の比ではございませぬ。
最終日に泣きを入れて「ボッコン鮮やかに」などと時代錯誤なことを申すのは与党ウグイス。
我と我がともがらは、都会の選挙にて最後まで政策を短きキャッチフレーズと致して訴え続け、勝利を収めて来たのでござる。
ゆえに「ボッコン鮮やか嬢」と舌戦を繰り広げてみたいと思~た次第でございます。
ご無沙汰してます。
こんな記事のコメントで再会?するとは( ̄□ ̄;)!! 恐れ入ります。
「泣き男、泣き女」は、中国だけでなく、韓国、北朝鮮にも存在してるのね?
やっぱ、大陸と日本の文化はこういう場面でくっきりと違うんだね。
私の想像だけど、「泣き女」って、葬儀司会にも匹敵する(もしかしたらそれ以上?)で、故人の功績を称えて泣きまくり、それによって参列者をもらい泣きさせるプロなのではないかと思います。
参列者全員で大泣きして故人を悼み、スッキリして帰る…って、なんかすごくいいお葬式な気がするんだよね。
実は私、息子と高松に帰ってきたとき、葬儀司会の仕事をしようかと思ったこともあったりして、研修を受けたこともあり、いろいろ考えさせられました。