先日、ものすごく久しぶりにEテレの日曜美術館を観ました。
日本画の巨匠、高山辰雄画伯の生誕100年を記念しての展覧会が、出身地大分で開催されているとのこと。
番組では、分子生物学者の福岡伸一氏を招いて、科学と芸術の双方から「いのち」の真髄に迫るというような構成でした。
「私の体、人間の体の組成は、宇宙を形作る物質とまったく同一のもので、それ以外の何も持っていません。考えてみれば、我々も星屑の一つと同一のように思えないでもない。」
「原始時代よりもっともっと前から生物本然の何かと共通したあるもの、地上に生をうけた時の心、アミーバーの心とでも云(い)いたいものです。つかめないかも知れないが、死ぬ迄(まで)にはアミーバーの心とでも云うものを知りたい。」
高山画伯の言葉ですが、「アミーバーの心」って、、、それは、単細胞でも持つ「心」…ていうことなんだろうけど、
それが生命体ではない、分子や原子、素粒子まで、自分の細胞と同一と感じられる感性は私にはすごくわかる。
画伯は晩年、永眠される1年前に、ただ1度、自画像を描かれました。
冒頭の画像です。画伯は、もうすぐ本当に地上での命が終わることを感じ、自分の存在をこの絵に注いだのではと感じます。
顔のない老人。
彼は、自分を取り囲む周囲の空気と一体化し、もはや「個」ではなく、自分を形成する細胞も分子も、周囲の空気となんら変わるところがない…と、
自分の存在をそのように位置づけているのではと感じました。
私は、素粒子にも心があると思っています。
心といっても、語る言葉をもっているわけでなくても、愛や、意志をもっていると感じるのです。
何がいちばんこの世界を形成する小さな物体なのか、ミクロの世界を突き進んでいくと、
実はなにもない…のではと思っています。
あるのは「心」
神の意思…かもしれないし、それはわかりません。
これほどまでに命の深遠を追求して、描き続けるって、すごい…
大分の展覧会、行きたい!!と思ったけど、もうすぐ終わるし…お金もないし、、、
でも、TVで観ることができただけでもよかった。
高山画伯は、初期の頃、ゴーギャンに影響を受けたとのことでした。
私はあまり美術には詳しくないので、画伯の作品で、記憶にあるものといえば、少女や、家族を描いた作品でした。
ゴーギャンとは全く繋がらない絵だったけど…
初期の作品も観て、納得しまくりました。
今回の番組を観て、画伯の画風の変遷というものも、お勉強できて、すごく有意義でした。
それよりなにより、
「うわ~~~、エエわ~~~」…と、心から感動しながら鑑賞できました。
実物に対峙したら、自画像のこの顔に描きこまれた「点」に吸い込まれて、心揺さぶられただろうし、
他の作品も、1点ずつ、あまりにも凄いものだろうなと、、、
ナマで、画家の作品と向かい合うのって、旅行で、壮大な景色に対峙するのとはまた違った大きな感動があると思います。
あ~~~いきたい、
東京にいた頃は、たくさんのコンサートや展覧会があちこちであって、
「いつでも行ける」と思いつつ、生活に追われていました。
今も、当時よりさらに追われてるよ。
でも、私もTakが巣立ったら、旅行したり、展覧会やコンサートに行ったり、
そうしながら「命の真髄」を追い求めたいな。
決してこの世に生きてるうちに到達できることではないと思うけど、追い求め続けることに意義があるような気がする…
インフルに罹りました。Takのが感染したに違いないんですが、、、
幸い、症状はものすごく軽く、昨日は微熱、現在は平熱。でも、喉と鼻の奥が腫れてる自覚あり。目も血走ってるし…
なので、今日、明日は、ゆっくりゆるゆると過ごしたいところです。
Takが、私におかゆを作ってくれたり、自分のゴハンは自分で作ったりして協力してくれるけど、片付けは全部私(-_-;)
まあでも、熱も下がったので、これから、またまた除菌グッズやら、すぐ作れるおかずの材料を買出しに行って、片付けが一段落したら、お昼寝しようかと思います。
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