紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

夜の小樽運河クルーズを楽しむ

2012-08-01 06:00:00 | 日記
7月の下旬に夜の小樽運河クルーズを楽しんできました。日中見る運河とは趣が異なります。一昨年から小樽運河をクルーズ船が運航していることは知っておりましたが、乗船するのは初めてです。しかもいきなりナイトクルーズ、40分間の夜の小樽運河を満喫してきました。運河クルーズ船は10月31日まで運行しております。乗船中は、ガイドによる運河の歴史や、周辺の倉庫や建築物の解説もあります。長年小樽に住んでいて、運河周辺の歴史については詳しい方だと思っておりましたが、今回の体験で新しい事実もいくつかわかりました。今回乗船中に撮影した写真と過去に撮影した写真とを合わせて、紹介したいと思います。


(浅草橋の観光案内所でチケットが売られています、デイクルーズは1200円、ナイトクルーズは1500円になります、所要時間40分)

今回乗船したのは午後8時出発の便です。この午後8時の便は7月と8月のみの運航です。船は定員20人乗りの小型船です。まず救命具の取扱説明があり、すぐ浅草橋を出発して中央橋に向かいます。日銀通りからまっすぐ降りた「浅草橋」と小樽駅から下がった「中央橋」をつなぐ運河散策路が、運河観光の中心です。なお、「中央橋」の由来は。現小樽駅が、かつては小樽中央駅と呼ばれていたためです。その当時の小樽駅は、現在の南小樽駅にあったのです。


(薄暮の小樽運河)


(船は浅草橋を出て、中央橋に向かいます 右側には倉庫を改造したレストランが、左手側には国道を挟んでホテルやお土産品店、レストランが立ち並びます)


(地ビールレストラン小樽倉庫No.1の前を通る ISO感度を上げてもシャッタースピードが遅く画面が流れる)

中央橋をくぐると前方に北海製缶の工場群がありますが、その手前の水路を通り、臨港線に架かる月見橋をくぐって小樽港にいったん出ます。案内によれば、小樽港は珍しく港内に漁業権がある港のことです。早朝漁をする漁船が見られますとのことでした。再び臨港線に架かる旭橋の下をくぐり北運河に入ります。なお、竜宮橋を境に札幌寄りの運河を南運河(通常南をつけずに単に運河という)、手宮よりを北運河と呼んでいます。


(北海製缶の工場前を進みます)


(北運河の突き当りでクルーズ船はターンします 青信号のところにある倉庫が大家倉庫、形が一風変わっています)


(北運河の手宮よりの北運河公園近くには「運河の歴史」を記した標識があります この画像は別の日に撮影しています)

標識にも書かれている通り、この小樽運河は、通常の掘削による運河ではなく、埋め立て方式による珍しい運河です。元々運河のふちは砂や石の海岸でしたが、これを土砂で埋め立てて、さらに40mほど沖に土砂を埋め立てて水路を作ったものなのです。大正12年にこの運河は作られましたが、その後の海運等発展により埠頭・岸壁が作られ、大型船が着岸出来るようになると、艀の需要が減少し、運河は邪魔ものになって行きます。昭和40年代から運河論争約10年以上も続くことになるのです。この辺の事情については2009.4.10付け当ブログ「ちょっとレトロな話~小樽運河今昔」を参照してください。

さてUターンしたクルーズ船は浅草橋方面へと戻ります。運河をまたぐ4つの橋の最も手宮よりの北浜橋をくぐります。この橋は不思議なことに、山の手側から入ると、海側に出ることができません。海側は北海製缶私有地で、工場の壁になっているからなんです。なぜここに橋が出来たのか不思議です。さて北浜橋をくぐると、海側(左側)は北海製缶の工場が二つ見えます。夜間は操業しておりませんので大きな煙突のある工場は、暗闇の中ですが、4階建ての階段の見える工場はライトアップされています。そして各フロアーには何やら黒い人影が見えます。


(普段はライトアップされていないはずが…)


(さらに近づくと、各フロアーに黒い人物らしき人影が…)

この黒い人影は、NPO法人小樽ワークスが仕掛けた「小樽アートプロジェクト2012」の一環なんだそうです。翌日会場近くでプロジェクトの責任者に聞いたところ、歴史的建造物を再認識し、小樽の魅力を広く発信する企画という事でした。なおこのプロジェクトの期間は、7月21日から29日までだそうです。さてここで日中の北海製缶の工場を見ておきます。


(撮影はH23年7月で、HDR加工してあります 大きな煙突がトレードマークです)


(3年ほど前の8月の夕方撮影した画像です この建物は、運河が完成した翌年の大正13年建築で、当時鉄筋は軍事物質で使えず、竹を組んでセメントで固めたそうです 大きな地震でも一向に崩れません)

さて再びクルーズ船に戻ります。竜宮橋をくぐると2F建ての大きな倉庫が目に入ってきます。小樽の歴史的建築物の一つ、大家倉庫です。石川県出身の海産商大家七平氏が建築した倉庫で、一見2Fのように見えますが、なかは吹き抜けになっていて2Fの窓も鉄板で閉鎖され開閉できません。建築には極めて高度な技術が必要とされました。なぜそのように資金のかかる面倒な倉庫を建てたのでしょうか、一説には同業者との見栄の張り合いとも言われています。


(カメラを船の側面に出して撮ってみました)


(小樽倉庫No.1前を通って浅草橋に戻ります)

浅草橋の向かいには、旧山下汽船が入っていたビル(旧通信電設浜ビル昭和10年建設)が見えます。現在は中華料理店「好・ハオ」となっていますが、このビルの3Fに石原裕次郎の父親が支店長として勤務しておりました。裕次郎は昭和12年3歳の時に来樽し、小樽市稲穂小学校に通い、昭和18年9歳の時に父の転勤とともに、神奈川県の逗子市に転居しました。そして、今年の4月25日にこのビルの隣に石原プロの「おもしろ撮影館」がオープンしたのです。

約40分間の小樽運河クルーズは以上で終わりですが、運河の歴史、周辺倉庫群の説明等もあって、とても有意義な時間が持てました。機会があればぜひ体験してみてください。なお、最後に旧小樽運河の写真を二枚載せておきます。10年続いた運河論争に決着がついて、昭和57年に埋め立て(南運河幅40mの半分)が開始される前の55年に私自身が中央橋から撮影したカットです。


(中央橋から北運河方面を望む 左手の3番目の大きな2F建て倉庫が大家倉庫)


(中央橋から南運河を望む 中央にある丘は水天宮、その手前に見える4F建てビルに山下汽船小樽支店が入居していた)