CH:368296 京都伊根の舟屋&舞鶴赤レンガ館

カモメ
丹後半島の突端、経ヶ岬の手前に伊根湾めぐり遊覧船が出ていて伊根の舟屋が見られます。早速乗船し廻りました。カモメが餌を目当てに寄って来ましたが、無くなるとさっさと乗船場に戻っていきました
舟屋群6
遊覧船は右に青島を見て乗船場の反対側の湾の先端亀島を目指します
赤灯台
湾対岸の亀山地区の赤灯台を漁に出かける漁船が走り抜けてゆく漁村のいい風情でした
舟屋群5
赤灯台の手前を左に湾内を左回りに廻ります。山と海の水際に舟屋の集落がへばり付くように連なって建っていました
舟屋群4
この辺りは耳鼻(にび)地区といい舟屋の宿が多く立ち並んでいました
舟屋群3
この左辺りはもう立石地区となります
舟屋群2
こちらはもう亀島の対岸に当たり、右は西平田地区となり、左手は高梨地区となっていました
舟屋群1
少し突き出たところを回り込むと、もうそこは乗船場のある日の出地区でした
舟屋群全景
遊覧船上から見た伊根の舟屋の全景パノラマです。遊覧時間は約25分ほどのあっという間でした
伊根湾全景
伊根湾の素晴らしい全景は道の駅「舟屋の里伊根」の展望台から見ることができました。真ん中の島が青島で、左が亀島、右を向こうに回りこんだところが乗船場でした
伊根湾の養殖筏
そこに見えた丸や四角の養殖筏が美しい海の模様となっていました。それでは湾内をぐるりと舟屋廻りと行きましょう
高梨地区
穏やかな水面に舟屋の影が長く陽炎のように映っています。サファイヤ色の海が静けさをたもっています
西平田地区1
どの民家も海が玄関のように、口をあけて舟を銜えています
西平田地区2
養殖筏でしょうか?舟屋宿の新鮮な食材が泳いでいるのかな
西平田地区3
海上タクシーでしょうか?それとも磯渡しか?漁船か?どれも舟屋に繋がれています
西平田地区4
典型的な伊根の舟屋の情景ですね。舟屋、後の民家、道を挟んだ石垣の上の民家、右手には神社の赤い鳥居が見え一幅の絵を見ているようです
西平田地区5
カモメも一緒に舟屋の人たちと生活をしている静かな日常の光景でしょうか?
西平田地区6
入り江の落ち着いた静寂の中にある舟屋の情景です。「伊根裏公園」傍のこの辺りが撮影ベストポイントのようですね
西平田地区7
水面も山も情景に溶け込んでいます
西平田地区8
心情的にこんなイメージでしょうか
向井酒造1
現実に戻って、真ん中の蔵はこちらでは有名な造り酒屋「向井酒造」さんです
向井酒造2
道が未発達の頃はこの海より物の出入りがなされていたようです。では表に回ってみましょう
向井酒造4
こちらの右の建物でお酒を造られています
向井酒造5
なんとこちらの酒造さんは、宝暦4年(江戸中期)の創業というから驚きですね
向井酒造6
「竹の露」今はこの銘柄はやっておられないようです
向井酒造7
一押しの銘柄「京の春」。驚きと言えば、お父さんの跡を継いだお嬢さん久仁子さんは、こちらの杜氏をやられているつわものでした
周遊道1
陸に上がったので少し舟屋の表を見て回りましょう。落ち着いた浦の様子です。うなぎ道と呼ばれる曲がりくねった道です。でも狭く少し窮屈そうです
周遊道2
右手が海側で、舟屋の建物になっております。でも左も似たような切妻の形をしていますね
江戸時代の舟屋
この舟屋は「江戸時代の舟屋」だそうで見学もできます
舟屋1
どの舟屋も1階は舟のガレージ、2階あるいは3階が居住スペースになっています
舟屋2
漁の道具や生活用具の物入れとなっています
蔵の飾り・宝
約150軒ある蔵には、鏝(こて)絵といった装飾が施されています。こちらは宝、水と云うのもありました
蔵の鏝絵
縁起を担いだ御目出度い「鶴亀」もありました
八坂神社
江戸時代、京都の八坂神社から牛頭天王を勧請され、約300年の歴史を持つ、大漁、五穀豊穣を祈願する、船屋台が出ることから別名「海の祇園祭」も盛大に行われています。伊根の舟屋を満喫したことだし、次は舞鶴に行ってみましょう。
赤レンガパーク
と云うことでやって来たのは「舞鶴赤レンガパーク」です。こちらの施設は旧舞鶴港の軍事施設跡地です。1号棟はレンガ博物館になっておりレンガの展示室になっており、戦争の遺産という側面は一切出されてはいませんでした
2号棟2F
戦争の遺物ですが、いまや観光スポットになっています。倉庫繋がりというだけで、小樽のレンガ倉庫群と同じ扱いをされているのでしょうか。何はともあれ2号棟と呼ばれている倉庫は2Fに旧舞鶴港の紹介がなされていました
2号棟2F展示
私の舞鶴港のイメージはこの説明にもあるように、旧日本軍人の敗戦による引揚者上陸地しかありませんでした。「母は来ました今日も来・・・」の涙の情景だけが脳裏に浮かぶ忌まわしい戦争のイメージだけでした。この説明では「引き上げの史実を未来に伝達する目的とありますが、戦争への悲惨さや反省はありません。決して起こしはならない戦争を放棄しようという言葉が見つからないのは寂しい限りです。平和を目指すという欺瞞の言葉が残念です
2号棟梁
建物だけを紹介しましょう。今なら鉄筋が組まれているでしょうが、当時は鉄は貴重だったんでしょう、木組みになっています
2号棟より3号棟
いかにも倉庫といった建物ですが、改めて写真にするとまた違った趣が感じられます
2号棟より3号棟窓を・・
ちょうど蔦が絡まっておりそれが写真の趣をいい物にしていました。向こうのまだガラスはステンドグラスに変わっています
3号棟1
1Fはお土産などが販売されています
3号棟2
レンガは美しい赤の肌を見せていました
3号棟3
縦に柱、横に梁とがっしりとした建て方になっております
3号棟西入り口
扉は今は木製に付け変わっています
4号棟北扉
元々この4号棟は旧倉庫時代はなんと魚雷の倉庫だったのです。それが今では驚きの、ウエディングホールに変身、ある意味戦争から平和へと向かう良い利用なんでしょうが、何とも複雑な気持ちにされます。扉が教会を思わせる趣向のようです
4号棟
その披露宴会場となっています
3-4号棟間より5号棟
赤レンガと芝生のグリーンが美しいですが、建物に挟まれた空間というのは捕虜収容場をイメージしてしまいます
4号棟兵器庫
はっきりと兵器庫とわざわざ碑まで立てられていました
4号棟
丸窓、四角窓、アーチ型扉、引込み線と当時がそのまま残されています
2,3,4号棟
白日の下に並ぶ2,3,4号棟、美しいと見るか、戦争がなくていい社会になったと見るか見る方の思いは百人百様でしょうね・・・
5号棟西入り口
威風堂々と建っています。こちらは3角形になったところが他とは違うのは何故なんでしょう?
6号棟東入り口
6号棟東入り口ですが、入り口の朽ちた感じが哀愁を漂わせています
6号棟南引込み線
こちらは南側の入り口に貨車かトロッコの引込み線が当時を連想させます
6号棟南入り口
6号棟南入り口は当時のままなのでしょうか?さびた鉄製扉、上の表示板もそのままなのかな?
6号棟南扉上
いまだに文字の跡が残っていて読めそうです
6号棟
最も南西にある6号棟、蔦が絡まってその風月にさらされた歴史を感じます。戦争遺産か?平和への象徴か?皆さんはどう思われますか・・・?おしまい