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「掛川城」見学の後、古い宿場町の探索か城跡かと迷ったあげく今回は、高天神城跡の探索をすることに、昨日、大雨でなければ両方探索が出来たのにな~あ(涙)と思いながらの城跡見学です。
「高天神を制するものは、遠江を制す」と言われた高天神城、標高132mの鶴翁山を中心に、自然の地形を巧みに活かした山城です。ここを舞台に武田と徳川による激しい争奪戦が繰り広げられました。
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三方が絶壁で、難攻不落とされた城だが現在は杉や檜のうっそうとした林に覆われています。
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高天神城の築城は、室町時代、今川氏が守護大名から戦国大名に成長する過程で築かれたとする説が有力と言われています。
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訪れる人は決して多くは無いようですが少なくも無い?城跡への探索を終えようとしている関西系のおばさんたちと遭遇、杖を貸してもらいました。
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今川氏の滅亡後徳川家康の持ち城となり、小笠原長忠が引き継ぎ城主となりました。
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1571年(元亀2年)、武田信玄が攻めるも城は落とせず。
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信玄が攻め落とせず、跡を継いだ勝頼が天正2年、大軍二万で囲んで開城させた。
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名将信玄があきらめた城を落としたのだから、勝頼の武名は大いに上がったに違いない、この時、援軍の織田信長が間に合わず、おわびとして家康に黄金2袋を贈呈した。
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しかし長篠・設楽原の合戦に勝利して反攻に出た家康は、横須賀城(掛川市)を拠点に高天神城の奪還を目指す。家康は無理押しはせず、天正5年ごろから周囲に砦をつくって包囲し、城への補給路を断つ作戦に出た。
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写真は現在の設楽原
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織田・徳川連合軍に大敗した武田勝頼は、その後衰退。
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横須賀城を拠点とした家康が高天神城の奪還に成功しました。
深い緑の影を落とす木々に覆われた城跡は、戦国のロマンを秘めながら静かに時を重ねています。
今日は、これから長篠・設楽原の合戦場址へと向かいます。
K-30&TG-850にて2015年7月撮影
「高天神を制するものは、遠江を制す」と言われた高天神城、標高132mの鶴翁山を中心に、自然の地形を巧みに活かした山城です。ここを舞台に武田と徳川による激しい争奪戦が繰り広げられました。
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三方が絶壁で、難攻不落とされた城だが現在は杉や檜のうっそうとした林に覆われています。
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高天神城の築城は、室町時代、今川氏が守護大名から戦国大名に成長する過程で築かれたとする説が有力と言われています。
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訪れる人は決して多くは無いようですが少なくも無い?城跡への探索を終えようとしている関西系のおばさんたちと遭遇、杖を貸してもらいました。
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今川氏の滅亡後徳川家康の持ち城となり、小笠原長忠が引き継ぎ城主となりました。
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1571年(元亀2年)、武田信玄が攻めるも城は落とせず。
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信玄が攻め落とせず、跡を継いだ勝頼が天正2年、大軍二万で囲んで開城させた。
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名将信玄があきらめた城を落としたのだから、勝頼の武名は大いに上がったに違いない、この時、援軍の織田信長が間に合わず、おわびとして家康に黄金2袋を贈呈した。
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しかし長篠・設楽原の合戦に勝利して反攻に出た家康は、横須賀城(掛川市)を拠点に高天神城の奪還を目指す。家康は無理押しはせず、天正5年ごろから周囲に砦をつくって包囲し、城への補給路を断つ作戦に出た。
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写真は現在の設楽原
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織田・徳川連合軍に大敗した武田勝頼は、その後衰退。
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横須賀城を拠点とした家康が高天神城の奪還に成功しました。
深い緑の影を落とす木々に覆われた城跡は、戦国のロマンを秘めながら静かに時を重ねています。
今日は、これから長篠・設楽原の合戦場址へと向かいます。
K-30&TG-850にて2015年7月撮影
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お城というよりも砦の雰囲気。
登りは大変そうですが、変化に富んでいて楽しそう。
ここから海が見えると晴れていれば景色よさそうですね。
今では、樹木が茂ってしまい視界が遮られていますが視界は相当良く、
天気が良ければ海も見えるかも知れません。
今では、成長した木々により城の雰囲気は、うすまり自然公園といった雰囲気でした。
HPで検索して見ると、ほんと掛川の近くで、
袋井は、由緒あるお寺や、花火と見所がたくさん有り、よさそうな所でした。
情報ありがとうございます。