自助グループに行ってみることにした。月2回、木曜日と土曜日にしか行われない回数の物足りなさを感じながらも、とりあえず木曜日の自助会に参加することにした。ぼくを待っていたのは新しい絶望だった。女性はおろからそこに通っている男性陣ともうまく会話できなくて居場所がこの世の中のどこにもない気がした。通えど馴染むことはできなかった。
廃れた商店街をふらついて、ゲームセンターを出ると、向かいにある不動産屋の広告を見る。風呂無し賃貸の4畳ほどの木造アパートの部屋が家賃3万で張り出されていた。遠くない将来のぼくにはおあつらえ向きな場所になるであろうという予感がしていた。
次の日、三峰山のハイキングコースをふらついていた。野生の熊とおぼしき動物にぼくは「あっちに美味しそうな木の実があるよ」と指をあさっての方向に示し言った。野生の熊とおぼしき彼はそばにいた子熊を連れてぼくの指した方向へと行った。
山をあとにすると、御花畑駅で電車がくるのを待った。水筒を持ってきていて良かったわけだ。コンビニどころか、民家を見つけることさえひと苦労な東京の圏外は田舎と呼ぶにも難しい場所だ。電車で秩父、所沢とわり合いに直ぐに行くことができた。
次の日、池袋に向かいサンシャインシティーの60階までエレベーターでのぼった。上から見る景色で三峰山らしき曲線が見えたが、かすみがかっていてやはり東京から雄大な山が、見えないことを実感して、サンシャインを出て松屋で牛めしの並を食べて帰った。
次の日、所沢駅から御花畑駅に行った。三峰山のハイキングコースを行くとやはり野生の熊とおぼしき動物がいて、ぼくは彼の傍をただ通り過ぎて彼もまたそんなぼくを見送ることもなく子熊に木の実を食べさせてやっていた。その日はよく眠ることができた。
次の日、所沢駅に行くとぼくは街の中のゲームセンターを素通りしてとある喫茶店に入った。朝、人がいないから読書には最適だ。あまり通いつめるといつの間にか店員の視線が冷ややかになってくるから気を付けなくてはならない。滞在時間は1時間~2時間が関の山だろうか。本は読めて20ページであろう。とても心地の良い快適な喫茶店だった。ウェイトレスの女性がみな輝いていた。家にかえる。
午後1時前には薬を飲む。日課であり生きていくためのことだ。たとえば糖尿病のインシュリン注射と抗鬱薬(SSRI)は毎日飲まなくては、血中濃度が保てないという理由で似かよっているように素人知識で思う。ぼくはSSRIを毎日50mg摂取しなくては精神のバランスが保てない。いまの自分はそんなに大変だろうか?昼でも夜でも、ただ薬2粒を口に放ってお茶か水で流し込めばいい決して大変ではない。むしろ楽であるとさえ感じる。通例だとコーヒーとかお茶とかのカフェインが入っているものは薬とくに精神薬を飲む上では良くないとされるが、ぼくはおかまいなしに、何年間もアイスコーヒーや緑茶、烏龍茶、オレンジジュース、レッドブルに至るまで色んな飲料で抗鬱薬や抗不安薬を飲んできた。
予約していた整体師の専門学校の説明会にいくことにした。専門学校は御茶ノ水付近にあった。
御茶ノ水駅に付いて地上に出るとファミリーマートでレッドブルを買って飲んだ。
整体師の専門学校の説明会が終わる頃には、街はすっかり夜になっていた。さっき入ったファミリーマートの前に備えられてるゴミ箱に、整体師の専門学校の説明会で、貰った大量のパンフレットやプリントを、ゴソッと入れ込んだ。うまくすべてゴミ箱の中に入ってくれた。家にかえると応募して面接も受けていた学校の用務員の仕事の採用通知がきていた。
次の日、恵比寿駅から徒歩10分の私立ルザンヌ学園にいった。用務員の仕事はハードなのとどうしても女子学生に見とれてしまうということで1週間で依願退職した。
次の日、新橋のチェーン展開していると思わしきカフェの木目調の広大なフロアーの一角で、アイドルイベントへの参加準備をしていた。時刻は午前10時55分。
注意書きをよく読むと11時30分には会場に入っていた方が良いみたいなのであったけれど、ゆりかもは5分で新橋から目的の駅へ着くようだ。
もう11時ちょうどになろうとしていた。カフェの2階には、日曜日のお昼前ということで、人もまばらであったのだか、就活生が何やら合同説明会!?への参加準備をしていた。
ハタチ前後のスーツを着た大学生がたくさんいて、先輩の話しを熱心にメモなどしていたからとても感心した。
ぼくも老け込むにはまだ早過ぎる年齢の若者に違いないのだけれど、就活生達にはみずみずしさがあった。
本物の若さとはあのようなものの事を言うのかもしれないとぼくは薄いカフェラテを飲みながら思う。氷は溶け始めてグラスは汗をかいている。
カフェの冷房はどこでもがそうであるようにとても強くアイスカフェラテにした事を後悔した。ホットにしていればお腹を壊したり、のどをやられて風邪をひく心配をしなくても済む。
新橋のカフェの周りにはオフィスビルが多くて、日頃テレビで見かけるような古い鉄道やスクリーンのある様子とはだいぶ違っていて無機質な街に思えた。改札口が違うだけでまるで別の街のような印象になってしまうほどに新橋という駅も街も巨大なものなのだ。
大学を中退して、就活もできずにフリーターから無職へと雪崩れるように転がり落ちた自分とはとても対照的な雰囲気を感じて居心地はあまり良いものではなかった。
アイドルイベントの参加準備をしていることも決して人に褒められるようなものではない。しかも1人で太ったお洒落ではない格好をした男がポツンと座席の一角にいるのはあまり自然なことではないように思えた。
ゆりかもめは大きく旋回して下には高速道路にたくさんの車が見えた。晴れであったから立体駐車場と人工樹林が一緒におさまった景色はとても美しく感じられた。いわゆるインド系の外国人もそれを見ていた。
目的の駅で降りると、アイドルイベント会場へと急いだ。時刻は12時。余計な自己卑下な考え事をしていたから遅れた。悪い癖はなかなか治らない。
人の固まりがチラホラと出来ていてなんだかぼくは急に気恥ずかしくなったのだが、申し込み用紙に記入して受付でイベント券を3枚手に入れると安堵のため息をついた。ぼくの臆病な性格もやはりそのままだ。会場に足を踏み入れると熱気があり、まだシステムを把握しきれていなかったからウロウロとしてしまった。イベント券3枚を消費するにはあっという間であった。
しかしとてもエネルギーをもらう事ができたし、楽しかった。
ゆりかもめ~新橋と帰路についたのだが、なんだか落ち着かずにさっきとは反対側の新橋駅前にいってみた。黒くゴツゴツとした表面の汽車があり、新橋の駅前はランチタイムも遠に過ぎた昼という事もあって、人はまばらフルスクリーンに写し出された流行歌はぼくの所在ない心と同じに虚しかった。歩きだすと見慣れたチェーン店が所々にある。
ビックカメラでUSBメモリーの2GBのものを購入した。ノートパソコンの容量も少ないし調子もおかしい。
小さな紙袋を背負っていたリュックサックに仕舞うとオフィス街を歩いた。
どのビルも50階以上はあるようにぼくには見えて、そんな高い場所で働くだけのエネルギーも安定性もない現状を味わう。ビルはどれも綺麗で良く磨かれている。窓拭きの清掃マンはとてつもなく大変だ。
ぐるっとビルに囲まれる。中では慌ただしく仕事が行われていて日本の消費などを動かす頭脳労働が繰り広げられているのかと巡らせ、植林のレンガに腰を降ろした。携帯電話でピカピカと光るビル群を撮影する。そしてぼくはJR新橋駅から自宅へとかえった。
廃れた商店街をふらついて、ゲームセンターを出ると、向かいにある不動産屋の広告を見る。風呂無し賃貸の4畳ほどの木造アパートの部屋が家賃3万で張り出されていた。遠くない将来のぼくにはおあつらえ向きな場所になるであろうという予感がしていた。
次の日、三峰山のハイキングコースをふらついていた。野生の熊とおぼしき動物にぼくは「あっちに美味しそうな木の実があるよ」と指をあさっての方向に示し言った。野生の熊とおぼしき彼はそばにいた子熊を連れてぼくの指した方向へと行った。
山をあとにすると、御花畑駅で電車がくるのを待った。水筒を持ってきていて良かったわけだ。コンビニどころか、民家を見つけることさえひと苦労な東京の圏外は田舎と呼ぶにも難しい場所だ。電車で秩父、所沢とわり合いに直ぐに行くことができた。
次の日、池袋に向かいサンシャインシティーの60階までエレベーターでのぼった。上から見る景色で三峰山らしき曲線が見えたが、かすみがかっていてやはり東京から雄大な山が、見えないことを実感して、サンシャインを出て松屋で牛めしの並を食べて帰った。
次の日、所沢駅から御花畑駅に行った。三峰山のハイキングコースを行くとやはり野生の熊とおぼしき動物がいて、ぼくは彼の傍をただ通り過ぎて彼もまたそんなぼくを見送ることもなく子熊に木の実を食べさせてやっていた。その日はよく眠ることができた。
次の日、所沢駅に行くとぼくは街の中のゲームセンターを素通りしてとある喫茶店に入った。朝、人がいないから読書には最適だ。あまり通いつめるといつの間にか店員の視線が冷ややかになってくるから気を付けなくてはならない。滞在時間は1時間~2時間が関の山だろうか。本は読めて20ページであろう。とても心地の良い快適な喫茶店だった。ウェイトレスの女性がみな輝いていた。家にかえる。
午後1時前には薬を飲む。日課であり生きていくためのことだ。たとえば糖尿病のインシュリン注射と抗鬱薬(SSRI)は毎日飲まなくては、血中濃度が保てないという理由で似かよっているように素人知識で思う。ぼくはSSRIを毎日50mg摂取しなくては精神のバランスが保てない。いまの自分はそんなに大変だろうか?昼でも夜でも、ただ薬2粒を口に放ってお茶か水で流し込めばいい決して大変ではない。むしろ楽であるとさえ感じる。通例だとコーヒーとかお茶とかのカフェインが入っているものは薬とくに精神薬を飲む上では良くないとされるが、ぼくはおかまいなしに、何年間もアイスコーヒーや緑茶、烏龍茶、オレンジジュース、レッドブルに至るまで色んな飲料で抗鬱薬や抗不安薬を飲んできた。
予約していた整体師の専門学校の説明会にいくことにした。専門学校は御茶ノ水付近にあった。
御茶ノ水駅に付いて地上に出るとファミリーマートでレッドブルを買って飲んだ。
整体師の専門学校の説明会が終わる頃には、街はすっかり夜になっていた。さっき入ったファミリーマートの前に備えられてるゴミ箱に、整体師の専門学校の説明会で、貰った大量のパンフレットやプリントを、ゴソッと入れ込んだ。うまくすべてゴミ箱の中に入ってくれた。家にかえると応募して面接も受けていた学校の用務員の仕事の採用通知がきていた。
次の日、恵比寿駅から徒歩10分の私立ルザンヌ学園にいった。用務員の仕事はハードなのとどうしても女子学生に見とれてしまうということで1週間で依願退職した。
次の日、新橋のチェーン展開していると思わしきカフェの木目調の広大なフロアーの一角で、アイドルイベントへの参加準備をしていた。時刻は午前10時55分。
注意書きをよく読むと11時30分には会場に入っていた方が良いみたいなのであったけれど、ゆりかもは5分で新橋から目的の駅へ着くようだ。
もう11時ちょうどになろうとしていた。カフェの2階には、日曜日のお昼前ということで、人もまばらであったのだか、就活生が何やら合同説明会!?への参加準備をしていた。
ハタチ前後のスーツを着た大学生がたくさんいて、先輩の話しを熱心にメモなどしていたからとても感心した。
ぼくも老け込むにはまだ早過ぎる年齢の若者に違いないのだけれど、就活生達にはみずみずしさがあった。
本物の若さとはあのようなものの事を言うのかもしれないとぼくは薄いカフェラテを飲みながら思う。氷は溶け始めてグラスは汗をかいている。
カフェの冷房はどこでもがそうであるようにとても強くアイスカフェラテにした事を後悔した。ホットにしていればお腹を壊したり、のどをやられて風邪をひく心配をしなくても済む。
新橋のカフェの周りにはオフィスビルが多くて、日頃テレビで見かけるような古い鉄道やスクリーンのある様子とはだいぶ違っていて無機質な街に思えた。改札口が違うだけでまるで別の街のような印象になってしまうほどに新橋という駅も街も巨大なものなのだ。
大学を中退して、就活もできずにフリーターから無職へと雪崩れるように転がり落ちた自分とはとても対照的な雰囲気を感じて居心地はあまり良いものではなかった。
アイドルイベントの参加準備をしていることも決して人に褒められるようなものではない。しかも1人で太ったお洒落ではない格好をした男がポツンと座席の一角にいるのはあまり自然なことではないように思えた。
ゆりかもめは大きく旋回して下には高速道路にたくさんの車が見えた。晴れであったから立体駐車場と人工樹林が一緒におさまった景色はとても美しく感じられた。いわゆるインド系の外国人もそれを見ていた。
目的の駅で降りると、アイドルイベント会場へと急いだ。時刻は12時。余計な自己卑下な考え事をしていたから遅れた。悪い癖はなかなか治らない。
人の固まりがチラホラと出来ていてなんだかぼくは急に気恥ずかしくなったのだが、申し込み用紙に記入して受付でイベント券を3枚手に入れると安堵のため息をついた。ぼくの臆病な性格もやはりそのままだ。会場に足を踏み入れると熱気があり、まだシステムを把握しきれていなかったからウロウロとしてしまった。イベント券3枚を消費するにはあっという間であった。
しかしとてもエネルギーをもらう事ができたし、楽しかった。
ゆりかもめ~新橋と帰路についたのだが、なんだか落ち着かずにさっきとは反対側の新橋駅前にいってみた。黒くゴツゴツとした表面の汽車があり、新橋の駅前はランチタイムも遠に過ぎた昼という事もあって、人はまばらフルスクリーンに写し出された流行歌はぼくの所在ない心と同じに虚しかった。歩きだすと見慣れたチェーン店が所々にある。
ビックカメラでUSBメモリーの2GBのものを購入した。ノートパソコンの容量も少ないし調子もおかしい。
小さな紙袋を背負っていたリュックサックに仕舞うとオフィス街を歩いた。
どのビルも50階以上はあるようにぼくには見えて、そんな高い場所で働くだけのエネルギーも安定性もない現状を味わう。ビルはどれも綺麗で良く磨かれている。窓拭きの清掃マンはとてつもなく大変だ。
ぐるっとビルに囲まれる。中では慌ただしく仕事が行われていて日本の消費などを動かす頭脳労働が繰り広げられているのかと巡らせ、植林のレンガに腰を降ろした。携帯電話でピカピカと光るビル群を撮影する。そしてぼくはJR新橋駅から自宅へとかえった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます