半年はたってもう今年も上半期は終わり、後半になります。
1月
蕎麦を打つとこのブログでなにかと書いていたのは、ケータイやPCの文字を打ち出すことの比喩でござんした。
2013年がはじまった冬は例年よりも厳しい寒さでした。私はベッドの上で布団にくるまりながら暖かくなる日を待ちiPhone4で文字を打つことを1番していた月でした。いま現在の部屋の気温は26℃で2℃近くまで行った日もあったとは思えないくらいに厳冬のあとの猛烈な気温上昇が半年であったのだと肌の実感を伴いわかるのです。
2月
バレンタインデーはちょっといろいろと反省する事が多かったです。やはりとても寒い日々で1月よりも厳しい日々だったかもしれません。しかしロシアの北極点に近い土地はこの2月のような日々が365日あるような土地もあるはずです(ちょっと想像で調べてはいないので確かではないのですが・・)。
iPhone4で小説もどきを書きはじめたり、映画レ・ミゼラブルや舞台田中が考え中2を観た感想をiPhoneで打っていたのもこの頃です。中上健次原作の映画 軽蔑の感想も書いていました。いま思い出してみても鈴木杏さんは素晴らしくまた悲しいストーリーで、でも感動したしまた観たいとも思います。
レ・ミゼラブルという映画はオペラ劇で途中観るのが大変だったけれど、ジャン・バルジャンが他人事だとは思えなくて感情移入しました。アン・ハサウェイの演技はほんとうにカッコよかったです。田中が考え中は過去の記事を参照していただけるとさいわいです。
3月
桜が咲いて春が訪れようとしていました。2011年の東日本大震災から2年が経っていました。2013年の3月11日は心の中で短く祈ることくらいしかできませんでした。
この頃私はiPhoneで文字を打つことなもだいぶ馴れて、何編か原稿用紙に換算すると10枚程度の短編といよりショートショートを書きました。
3月14日がホワイトデーはYoutubeで見た動画がとても面白く気温も上昇してきていました。
4月
とても暖かく春でそれでも厳冬の名残が所々に落ちていました。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年を朝10時に開いた地元の書店で並ぶこともなく購入してその日のうちにちょっと無理して斜め読みでなんとか読破しました。
主人公が自分のことのように感じられて感動と共に個人を読書体験の中に深く引きずり込める村上春樹さんはやはり素晴らしい作家だと思いました。多崎つくるがあまりに自分と似ているのでちょっと反感もおぼえたけど、その辺は未だに私には曖昧なままで上半期過ぎてしまいました。下半期でその曖昧な村上春樹さんという小説家への認識をより深めていきたいといまでは思っています。
5月
久しぶりに小説を割合にたくさん読んだ月でした。ほとんどブックオフの100円コーナーで買いました。文庫本では高いけれど、単行本のハードカバーなら最近の小説も100円コーナーに並んでいていままで文庫本でしか小説を読んでこなかったことをプチ後悔しました。小説はいまの私にとってハードカバーの単行本だとそれなりに読めることに気付いたのもこの頃でした。
ヘブン 川上未映子
桐島、部活やめるってよ 朝井リョウ
がとても印象に残っています。
桐島、部活やめるってよはやはり未だにあまり好きになれない。でも上手い作品だと思いました。私のようなこわっぱが言えたことではありませんが、1人称だけれど視点が男子生徒から女子生徒など章ごとに変わっていくのは読みやすさはあったかもしれませんが長編小説というより連作の短編小説のようですばる新人賞に値するのは確かですが長編という形式ではないような気がしてそこが気になりました。また映画もやはり原作とは別物で、原作を再現することが映像化の全てではないけれど、それぞれが、別個のストーリーになってしまっているように感じられました。しかし有望な作家、そして女優さんなど将来性が溢れた小説であり映画のような気もしました(ちょっと文学界の選考委員っぽく。というより模倣です。すいませんm(_ _)m)。
ヘブン 川上未映子 はやはり読んでいて村上春樹さんの新作のようになんだか自分のことが書かれているような気になってしまいました。それくらいストーリーの中に引きずり込む筆力が川上未映子さんにはあるのだとも思ったけれど話の流れは少しありきたりかなとも思いました。けっこう映画でも小説でもいじめる側の葛藤なのか悲哀に近いものを描いた作品は多いように思うのですが・・。そこにカントやウィトゲンシュタインやニーチェなど哲学だとやんわりと思わされるファクターを足していっただけの作品だとも言えると思います。ニーチェの哲学がベースにあり少しいじめる側の立場に近づけ過ぎかなとも思いました。いじめられる側はなんだか神聖な存在に近づけてあげているのだからむしろ有難く思って欲しいと言わんばかりの言語的なレトリックには美しいがあまりに無機質ゆえにこの作品が賛美されることへの大きな危機を感じました。
岩井俊二監督のリィリィシュシュのすべてで私はもうその加害者の悲哀やある意味での擁護は嫌になってしました。もちろんいじめる側が単純に悪であるとは思わないし教育法案で罰則化への流れやいじめ=犯罪というのは間違いだと思うのです。
川上未映子さんのヘブンはやはり私はあまり良いとは思えません。
もちろんいじめる側や悪者の悲哀や葛藤や悩みなどもわかりますが文学はやはりそこを描くにせよいじめられる側に寄せなければならないと私は勝手に思っています(日々50人くらいのアクセスしかないので批判を書いてはいますが大丈夫かな(・・;))。
6月
やっと1Q84を斜め読みで読了したのはこの月のはじめでした。村上春樹さんの小説はやはり面白いと思いました。
ストーリーも比喩も良いしとりあえず読み通せたことに安心しました(・・;)
BOOK1・2・3とも再読の途中でまだレビューを書けないですが、村上春樹さんやよしもとばななさんは素晴らしい作家であり小説家なのだと1Q84を再読するたびになんだか再認識させられます。ちょっとよしもとばななさんに関してオフライン(Web公開していない)日記で批判を書いたのですがそれは間違いであったと1Q84を再読するたびに思えます。河合隼雄さんとよしもとばななさんのなるほどの対話に何度か命を助けられたのをすっかり忘れて私は傲慢になっていた。村上春樹さんの1Q84のBook1・2・3の読書体験は、もしかしたらこれからの私の人生の財産になるかもしれません。
そんなこんなで上半期の読書体験をそれなりに振り返って見ました。
補足・川上未映子さんの『ヘブン』と人間関係の難しさについて書いたところはまだうまく書けませんでした。また再度レビューしてみたいと思っています。(逆にぼくの意見がちょっと偏っていたかもしれません)
1月
蕎麦を打つとこのブログでなにかと書いていたのは、ケータイやPCの文字を打ち出すことの比喩でござんした。
2013年がはじまった冬は例年よりも厳しい寒さでした。私はベッドの上で布団にくるまりながら暖かくなる日を待ちiPhone4で文字を打つことを1番していた月でした。いま現在の部屋の気温は26℃で2℃近くまで行った日もあったとは思えないくらいに厳冬のあとの猛烈な気温上昇が半年であったのだと肌の実感を伴いわかるのです。
2月
バレンタインデーはちょっといろいろと反省する事が多かったです。やはりとても寒い日々で1月よりも厳しい日々だったかもしれません。しかしロシアの北極点に近い土地はこの2月のような日々が365日あるような土地もあるはずです(ちょっと想像で調べてはいないので確かではないのですが・・)。
iPhone4で小説もどきを書きはじめたり、映画レ・ミゼラブルや舞台田中が考え中2を観た感想をiPhoneで打っていたのもこの頃です。中上健次原作の映画 軽蔑の感想も書いていました。いま思い出してみても鈴木杏さんは素晴らしくまた悲しいストーリーで、でも感動したしまた観たいとも思います。
レ・ミゼラブルという映画はオペラ劇で途中観るのが大変だったけれど、ジャン・バルジャンが他人事だとは思えなくて感情移入しました。アン・ハサウェイの演技はほんとうにカッコよかったです。田中が考え中は過去の記事を参照していただけるとさいわいです。
3月
桜が咲いて春が訪れようとしていました。2011年の東日本大震災から2年が経っていました。2013年の3月11日は心の中で短く祈ることくらいしかできませんでした。
この頃私はiPhoneで文字を打つことなもだいぶ馴れて、何編か原稿用紙に換算すると10枚程度の短編といよりショートショートを書きました。
3月14日がホワイトデーはYoutubeで見た動画がとても面白く気温も上昇してきていました。
4月
とても暖かく春でそれでも厳冬の名残が所々に落ちていました。
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年を朝10時に開いた地元の書店で並ぶこともなく購入してその日のうちにちょっと無理して斜め読みでなんとか読破しました。
主人公が自分のことのように感じられて感動と共に個人を読書体験の中に深く引きずり込める村上春樹さんはやはり素晴らしい作家だと思いました。多崎つくるがあまりに自分と似ているのでちょっと反感もおぼえたけど、その辺は未だに私には曖昧なままで上半期過ぎてしまいました。下半期でその曖昧な村上春樹さんという小説家への認識をより深めていきたいといまでは思っています。
5月
久しぶりに小説を割合にたくさん読んだ月でした。ほとんどブックオフの100円コーナーで買いました。文庫本では高いけれど、単行本のハードカバーなら最近の小説も100円コーナーに並んでいていままで文庫本でしか小説を読んでこなかったことをプチ後悔しました。小説はいまの私にとってハードカバーの単行本だとそれなりに読めることに気付いたのもこの頃でした。
ヘブン 川上未映子
桐島、部活やめるってよ 朝井リョウ
がとても印象に残っています。
桐島、部活やめるってよはやはり未だにあまり好きになれない。でも上手い作品だと思いました。私のようなこわっぱが言えたことではありませんが、1人称だけれど視点が男子生徒から女子生徒など章ごとに変わっていくのは読みやすさはあったかもしれませんが長編小説というより連作の短編小説のようですばる新人賞に値するのは確かですが長編という形式ではないような気がしてそこが気になりました。また映画もやはり原作とは別物で、原作を再現することが映像化の全てではないけれど、それぞれが、別個のストーリーになってしまっているように感じられました。しかし有望な作家、そして女優さんなど将来性が溢れた小説であり映画のような気もしました(ちょっと文学界の選考委員っぽく。というより模倣です。すいませんm(_ _)m)。
ヘブン 川上未映子 はやはり読んでいて村上春樹さんの新作のようになんだか自分のことが書かれているような気になってしまいました。それくらいストーリーの中に引きずり込む筆力が川上未映子さんにはあるのだとも思ったけれど話の流れは少しありきたりかなとも思いました。けっこう映画でも小説でもいじめる側の葛藤なのか悲哀に近いものを描いた作品は多いように思うのですが・・。そこにカントやウィトゲンシュタインやニーチェなど哲学だとやんわりと思わされるファクターを足していっただけの作品だとも言えると思います。ニーチェの哲学がベースにあり少しいじめる側の立場に近づけ過ぎかなとも思いました。いじめられる側はなんだか神聖な存在に近づけてあげているのだからむしろ有難く思って欲しいと言わんばかりの言語的なレトリックには美しいがあまりに無機質ゆえにこの作品が賛美されることへの大きな危機を感じました。
岩井俊二監督のリィリィシュシュのすべてで私はもうその加害者の悲哀やある意味での擁護は嫌になってしました。もちろんいじめる側が単純に悪であるとは思わないし教育法案で罰則化への流れやいじめ=犯罪というのは間違いだと思うのです。
川上未映子さんのヘブンはやはり私はあまり良いとは思えません。
もちろんいじめる側や悪者の悲哀や葛藤や悩みなどもわかりますが文学はやはりそこを描くにせよいじめられる側に寄せなければならないと私は勝手に思っています(日々50人くらいのアクセスしかないので批判を書いてはいますが大丈夫かな(・・;))。
6月
やっと1Q84を斜め読みで読了したのはこの月のはじめでした。村上春樹さんの小説はやはり面白いと思いました。
ストーリーも比喩も良いしとりあえず読み通せたことに安心しました(・・;)
BOOK1・2・3とも再読の途中でまだレビューを書けないですが、村上春樹さんやよしもとばななさんは素晴らしい作家であり小説家なのだと1Q84を再読するたびになんだか再認識させられます。ちょっとよしもとばななさんに関してオフライン(Web公開していない)日記で批判を書いたのですがそれは間違いであったと1Q84を再読するたびに思えます。河合隼雄さんとよしもとばななさんのなるほどの対話に何度か命を助けられたのをすっかり忘れて私は傲慢になっていた。村上春樹さんの1Q84のBook1・2・3の読書体験は、もしかしたらこれからの私の人生の財産になるかもしれません。
そんなこんなで上半期の読書体験をそれなりに振り返って見ました。
補足・川上未映子さんの『ヘブン』と人間関係の難しさについて書いたところはまだうまく書けませんでした。また再度レビューしてみたいと思っています。(逆にぼくの意見がちょっと偏っていたかもしれません)
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