元フレンチのシェフ中ちゃんは、レストラン営業は止
めて、次のステップに行くつなぎとして、ケーキと喫
茶で営業を続けている。
レストランを止めて一ヶ月ほど経つ。
まだ、周知されていないので、今でもたまに予約の電
話がかかってきたりする。
その次のステップというのは、前に聞いた時点では、
「マクロビオテクス」を基本とした、健康に良い食べ
物を提供する宿泊施設であったが、今回話を聞くと、
その「マクロビオテクス」のトーンがやや下がっていた。
こちらは「マクロビオテクス」というものがどういうも
のかは知らない。
自然食の原理主義的なものかな、程度の認識だ。
それと、菜食主義。
つまりベジタリアンの徹底したものかと。
それで何故、今回「マクロビオテクス」のトーンが下
がったのか探ってみた。
どうやら予想していた通り、その厳格な決まり、つま
り原理主義的な部分がどうにも窮屈に感じ出したよう
なのだ。
あまりに柔軟性がないと中ちゃんは感じたようだ。
中ちゃんの考え方としては、自然の中で自然のものを
食べて成長した鶏であれば、たとえ肉であっても摂取
してもいいというものであった。
飽くまでも、「自然」中心の考え方なのである。
ここで大いなる疑問が生じる。
その「自然」というのはどこからどこまでのことであ
るのかと。
たとえば、人工的なものを排除したものと言った場合、
大気に関しては、厳密に言えばどこであろうがすでに
程度の差こそあれ汚染されている。
植物にしろ動物にしろ、必ず接しているものだ。
つまり、全くの自然というのはすでに存在していない
いということになる。
ここで、その「自然」に関して問うと、多分収拾が付
かなくなるので、あえてスルーすることにした。
自分でも使うが、「自然」という言葉は、使う度ごと
に微妙に内容が言った本人に都合のよいように変えら
れる、相当抽象的で便利な言葉である。
いずれにしろ、原理主義的に使う場合の自然は、どん
どん厳格になり、最終的にはその原理そのものが成立
しなくなる領域にたっするので、そこで論理的なもの
を超える特別な何かを持ち出さないといけなくなり、
なにやら宗教的な色を帯びてくる、というのが大体の
パターンなのではないだろうか。
やはりその前に「適当」という言葉が必要になってく
る。
イージーゴーイングもたまには必要ということだ。
で、トーンダウンした中ちゃんは、小麦粉からグルテン
を抽出する作業を、日々こなしている。
肉代わりの生麩作りをしているらしいのだ。
大豆グルテンじゃ駄目なの、と聞くと、あれは旨味調
味料を添加してるから駄目だ、と言う。
普通に出回っている大豆グルテンはそういうことらし
い。
いずれは、小麦も自家栽培でやって行くつもりのよう
だ。
どこまでやるのか、傍からすると見ものであり楽しみ
でもある。
ただ、こちらとしては、「より安全な食材で美味い」
ということだけを望むのである。
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